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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 

人と科学の架け橋になるため
プロとして工夫をし続ける
サイエンスプロデューサー 米村でんじろう

 
サイエンスプロデューサーとして唯一無二の存在感を放つ米村でんじろうさん。日本各地で開催するサイエンスショーは、30年以上続けているという。もともと理科教師だった米村さんが、フリーランスとなりサイエンスプロデューサーの活動を始めたのは、「人と科学の架け橋になりたい」と思ったから。そんな米村さんに、これまでのご活動や実験を通じて学んだことなどをたっぷりとうかがった。
 
 

裏方として働いていく想定だった

 
僕はサイエンスプロデューサーと名乗っていますが、そういった肩書はもともとないんですよ。フリーランスとして活動するようになった頃、お付き合いのあったテレビ番組の制作会社さんのお手伝いをすることになりまして。僕はもともと教師だったので名刺を持っておらず、その制作会社さんがつくってくれることになったんです。
 
そのときに肩書をディレクターにするのか、プロデューサーにするのかと考えたのですが、それでは普通のテレビ業界の人になりますよね。僕はあくまで科学関連のお手伝いをする存在ということで、サイエンスプロデューサーという肩書で名刺をつくってもらったんです。ただ、そのときは自分の仕事がどういう方向性に進んでいくのかはまったくイメージできていませんでした。
 
フリーランスになると決めたときに想像していた仕事は、科学館の展示制作や、学習誌などの監修です。テレビや紙面、科学館など媒体は問わず、子どもたちや一般の方々と科学の架け橋になることがしたいと思っていたんです。ただ、実際には科学館などのお仕事の依頼はなかなか来なかったですね。
 
教師として働いていた頃は公務員ですし、給与も決まっていました。だから、稼いでいるという感覚が希薄だったように思います。でも、フリーランスとなってからは自分で仕事を得て、食べていかないといけない。焦りましたし、いただいた仕事はどんなものであっても断る選択肢はありませんでした。当時は、本当に何でもやりましたよ。
 
そうして何事にもチャレンジしていく中で、だんだんとテレビ番組での露出が増えていきました。僕は演者としてはまったくの素人です。本番中にもいろんな失敗やアクシデントがありました。その不慣れな様子が逆におもしろかったみたいですね。僕は恥ずかしくてカメラ目線もできなくて。それがウケるとは思っていませんでした。
 
テレビでの露出が増えると、イベントなどにもお声がかかるようになりました。子どもたちを対象としたイベントや、一般の方に向けた講演会などさまざまなものを経験しましたね。大体、1時間~1時間半ほど科学について話してほしいと言われるのですが、なかなか話だけでその時間を使い切ることはできません。子どもたちも話を聞くだけではつまらないですしね。だから、デモンストレーションをしたり、参加型の実験を行ったりしていたんです。それが、現在も行っているサイエンスショーのきっかけになりました。
 
 
 
 
 

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