ラジオでの怪談がきっかけとなった
当時、2部が放送される頃の時間には多くの業界人がニッポン放送に訪れていました。私はその場で怪談を披露していましてね。それを見ていたプロデューサーの方から、「もう夏になったことだし、2部を聴いている学生たちも受験勉強ばかりで大変だろうから怪談でも話してくれないか」と言われました。実際に話してみると、すごい反響でしたね。
2部の時間だと、いただくハガキの数はあまり多くないのが普通です。でも、怪談を話した回から多くのハガキをいただくようになりました。それに、リスナーは中高生ばかりだと思っていたのが、年配の方からもたくさんハガキをいただいたので驚きましたね。
あるとき、いただいたハガキに書いてある怪談を紹介しようという話になりまして。プロデューサーの方とみんなで全部のハガキと手紙をチェックしました。みんなで真剣に読んでいたところ、横でプロデューサーが「ああ、これは怖い」と言うんです。私も読ませてもらったら、本当に怖いんですよ。これはもう今日のうちに紹介しようとなって、その場で語り口を考えながらラジオで披露しました。私の怪談を聞いてくださっている方だと、知っている方も多いかもしれませんね。『赤い半纏』という怪談です。
赤い半纏のお話は、きれいな白い便箋に丁寧な字で書かれていました。きっとご年配の方からのお便りだろうなと思いましたね。その中で、「赤い半纏きせましょか」という言葉がまるで子守唄のように聞こえた、という話があったので、ラジオでは即興で子守唄のように歌ったんです。すると、ものすごい反響をいただきまして。マスコミにも広がりましたし、怪談を披露するためにテレビ番組にも出演するようになりました。これが、私が怪談家として活動することになったきっかけですね。