自分自身が読みたいものを書く
無邪気に遊び続けた30年間
好き放題に書き続けられた
『十角館の殺人』の刊行が合図であったかのように、本格ミステリを書く若手作家が続々と登場し始めたんです。同世代の新人たちが次々におもしろい作品を発表するので、ワクワクしましたね。僕のデビューは26歳のときだったんですが、当初は本当に、「読みたい=書きたいもの」という感覚で書いていただけで、本格ミステリを再び興隆させたいとか、そんな大きなことは考えていなかったんです。でも、似た志向性を持った作家のデビューが続くうちに、推理小説界全体の情勢が変わっていくかもしれないな、という思いが膨らんできました。
こうして、一時期は廃れていた本格ミステリが再び注目され、「新本格ミステリ」と呼ばれるムーブメントになっていったわけです。あの当時の日本の推理小説は、いろいろな社会経験・人生経験を積んだ「大人の作家」が、みずからの経験や知識を活かして「リアルな大人の小説」を書くものだ、という認識が一般的だったんですね。僕や、僕に続いて出てきた作家たちのような20代の若手が、現実にはありえないような大トリックに挑戦したり、絶海の孤島や吹雪の山荘を舞台にしたパズル的な謎解き小説を書いたりして発表するのは、本当に珍しい出来事だったんですよ。
当初は、そのような方向性に対して苦言を述べる先輩作家や評論家も少なくなかったようです。でも、あまり気にすることもなく、基本はやはり「自分が好きなもの」を書き続けました。現実には決して起こりえないようなとんでもないお話が読みたかったし、書きたかった。そうやって、どうかすると狭い意味でのリアリティ重視でがんじがらめになりがちだったミステリの自由度を高めたかったんですね。幸いにもそういった作品を歓迎してくれる読者がたくさんいてくれたので、自分たちの志向性を曲げることなく、けっこう好き放題に続けられたわけですが。