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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

運送業で60年の歴史
地域を見守る君津の母

 

地域活性化を目指し製鉄所の建設に貢献

 
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阿部 社名の通り、御社の中核事業となる運送業は、設立当初から行っていらっしゃるんですよね。もともとはどのようなきっかけで始められたんですか?
 
武田 運送業のきっかけは、弊社の前身である鳥居商店の時代にさかのぼります。当時、海苔を東京都にある販売会社に卸す際に、自ら運搬も行っていたんですよ。
 
阿部 なるほど。それを発展させて、現在の運送業を開始なさったんですね。
 
武田 ええ。1960年代に八幡製鉄株式会社、現在の日本製鉄がこの君津市に大規模な製鉄所をつくることになりました。創業者である私の父がその話を聞き、製鉄所の建設に協力することになったんですよ。そして、工事にかかわるさまざまな資材の輸送を行うため、業種を変更、有限会社君津運送店を設立したんです。同時に、製鉄所を建設する地区の土地造成のため土木業にも携わるようになり、海の埋め立て工事なども行うようになりました。また、父は当時、建設作業に携わる職人さんを家に招いて、寝泊まりする場所の提供もしていたんですよ。その後は、事業の拡大に伴って何度か商号を変えつつ1981年に現在の株式会社となりました。
 
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製鉄所からの資材運搬などを手がける
阿部 日本製鉄さんの君津製鉄所が誕生する時から、これまで共に歩まれてこられたわけですか。
 
武田 そうですね。父は、製鉄所が立てば地元地域がより活性化し、大きく発展するだろうと考えていたんです。しかし、この地に古くから根付いていた海苔の養殖や漁業に大きな影響を与えることになります。そのため、一部の漁業協同組合の関係者などからの反発も多々ありました。それでも父は、将来的に地域全体に利益をもたらすことができると信じ、大きな向上心を持って関係者を粘り強く説得し、やがて賛同してくれる方も増えていったんです。その結果、八幡製鉄所の本拠地であった福岡県北九州市から多くの社員とその家族が君津へ移住し、地域は目覚ましい発展を遂げていきました。当時の私は小学生でして、在校生よりも転入生のほうが多くなり、近くに新しい学校がいくつも建つほどだったんですよ。
 
阿部 地域の発展を考えながらその将来性を感じ取り、いち早く行動に移したお父様の向上心は素晴らしいものがありますね!