家具制作の仕事を小学生の頃から手伝う
井手 私は自分の職業を「家具屋」と言っています。もともと私の父が家具屋だったんですよ。木工が盛んな宮崎県出身の父は、戦後、お金を稼ぐために拾った木でつくった家具を売るようになり、18歳で東京へ来ました。家具の工場に勤めたものの、頑固な性格のため喧嘩をして飛び出して、大手百貨店で桐ダンスなどの製造に携わった後に独立したようです。
吉井 では、井手社長もお父様と同じ道に進んだわけですね。
井手 そうなんです。5人きょうだいの末っ子として生まれた私は、小学生の頃から夏休みになると荷物運びを手伝わされました。もっとも小遣いをもらえたわけではありません。食堂で一番高いメニューを頼んで良いと言われカツカレーを食べたり、職人さんのタバコを買ってつり銭をもらったりして喜んでいた程度です(笑)。