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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

建築に美容に社会支援!
世の中の幸せに貢献

 

野宿、盗難・・・。数々の災難を経て独立

 
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鎮西 澤岻社長は沖縄県ご出身ということで、私の祖母と同じなので親近感を覚えています。何歳くらいまで沖縄にいらっしゃいましたか?
 
澤岻 19歳までです。中学を卒業後、定時制高校に入学したものの目標が見つからなくて。入学してから2ヶ月ぐらいで中退し、最初は建築の仕事に就いたんです。
 
鎮西 私も早くから芸能の仕事をしてはいたものの、出演していたNHKの『天才てれびくん』は、番組のコンセプト的にも学校生活の延長のような感覚がありました。それに比べると、澤岻社長が飛び込んだのは、さらに大人の世界という印象を受けます。
 
澤岻 周囲の先輩とは歳が離れていたので、割と苦労はしました(笑)。でも、自分が選んだ道でしたし、家族には迷惑ばかりをかけてきたのでできるだけ頼らずに、自立した生活を心がけました。
 
鎮西 それがすごいですよ。10代半ばなら辛いときにどうしても家族に甘えてしまいがちなのに、澤岻社長はすでに立派なお考えを持っていたのですね。沖縄から上京してこられたのには、理由があったのでしょうか?
 
澤岻 身内から「もっと大きな世の中を見てきなさい」と、背中を押してもらったことがきっかけです。Googleマップで沖縄本島の地図を見せられ、「おまえのいるところはこんなに小さいんだぞ」と(笑)。実はそれまでは沖縄から出たことがなかったものの、その話を聞いていても立ってもいられなくなり、3日後には埼玉県にいました(笑)。埼玉を選んだのは、草加市に住んでいる親戚がいたからです。仕事と住む場所を紹介してもらう予定でしたが、その話は結局なくなってしまったんです。
 
鎮西 えぇ! 突然計画が狂ってしまったんですね。住まいや仕事のあてがなくなってしまって、どうされたんですか?
 
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澤岻 真冬の新宿で野宿しました。当時は冬の東京の寒さを知らなくて、Tシャツしか着ていなかったので、かなり堪えましたね。しかも、財布まで盗まれてしまって散々でした(笑)。
 
鎮西 大変でしたね・・・。心が折れそうな状況でもめげずに這い上がってこられて、澤岻社長には不屈の精神を感じます。
 
澤岻 その後、寮付きの仕事にすぐに巡り合えたので、運が良かったと思います。そこから1年間資金を貯めた後に個人事業主として独立し、その翌年に今経営している3社のうちの1社である、建築・設備系の会社を設立しまして。そして昨年、デザフィオグループを立ち上げたんです。