木村 私の生家は八百屋で、浅草に近い下町で父がリヤカーで野菜の引き売りをしていたんです。私自身は教員を目指し大学に進んだものの、兄弟が誰も八百屋を継ぎたがらなかったので、三男の私が大学を中退して4代目となりました。そして、トラックに産地直送の野菜を積み、団地や住宅地で販売していたんです。
内山 新鮮な野菜を家の前まで届けてくれるのだから、お客さんは喜んだでしょうね。
木村 ええ、ありがたいことに毎日3時間で売り切れるほど繁盛しました。20代のうちに一軒家を購入できたほどです。ただ、悩みの一つは雨が降ると売り上げが落ちること。そこで実店舗を構え、さらに事業の拡大を目指しました。
内山 そこまで野菜の販売で順調だった木村社長が、どうして警備業界に飛び込むことになったのか、気になってきました。
木村 実は、いつも私を励ましてくれた妻がガンで他界しまして。たちまち生きる気力を失った私は、店を閉めて目的もないまま日々を過ごすようになりました。その様子を見て心配した両親の勧めで就職したのが警備会社だったんです。ただ、残念ながらその会社は社長が事業の転換を図りまして、同じようには続けられなくなってしまいました。
内山 木村社長の目の前に、次から次へと試練が訪れますね。
木村 はい。ただ、私はその時点で警備員としてキャリアを積んでいたこともあり、周囲の人と一緒に立ち上がろうと決意したんです。それで、2014年に弊社を創業しました。
内山 木村社長の目の前に、次から次へと試練が訪れますね。
木村 はい。ただ、私はその時点で警備員としてキャリアを積んでいたこともあり、周囲の人と一緒に立ち上がろうと決意したんです。それで、2014年に弊社を創業しました。