宇田川 私は銚子市出身で、実家は漁師を営んでいました。そんな中、子どもの頃から高い所が好きだったこともあり、高校卒業後、先輩の誘いで鳶になったんです。もちろん、右も左もわからないゼロからのスタート。当時は「見て覚えろ」と怒鳴られたり殴られたりするのが当たり前の業界だったので、私もさんざんつらい目に遭いながら成長してきました。
杉田 つらい経験を乗り越えられたのですね。そのまま順調に独立まで歩んだのでしょうか。
宇田川 実は、高校の同級生で一緒に鳶になった仲間が転落事故で亡くなったんですよ。その姿を目のあたりにしてショックを受けた私は鳶を辞め、2年ほどトラックのドライバーや飲食業など仕事を転々としました。しかし、街を歩いているときにふと建設現場の足場が目に飛び込み、この仕事の魅力を再確認しまして。死んだ仲間の分も頑張ろうと気持ちを切り替え鳶に復帰しました。独立したのは2016年です。
杉田 決意を新たに再出発されたのですね。実を言うと、私は「職人さんはとっつきにくい」という印象を持っていたんです。でも宇田川代表は常に笑顔で話し方がやわらかく、とても優しそうなお人柄ですね。ユニフォームもおしゃれでかっこよく、鳶のイメージを大きく変えてくださる方ですよ。
宇田川 ありがとうございます。拓鳶では、各種足場工事や仮囲い工事を手がけており、ポリシーは、何よりも安全を最優先することなんです。先ほどお話ししたように、私は仲間の死を目の前で見ましたし、自分自身も何度も危険な目に遭ってきました。そして、鳶の事故のほとんどはちょっとした不注意が原因なんですよ。「あのとき安全帯を付けていれば」という後悔をなくすため、拓鳶では「気配り、目配り、心配り」を方針に掲げ、スタッフ同士で安全について常に注意し合っています。
宇田川 ありがとうございます。拓鳶では、各種足場工事や仮囲い工事を手がけており、ポリシーは、何よりも安全を最優先することなんです。先ほどお話ししたように、私は仲間の死を目の前で見ましたし、自分自身も何度も危険な目に遭ってきました。そして、鳶の事故のほとんどはちょっとした不注意が原因なんですよ。「あのとき安全帯を付けていれば」という後悔をなくすため、拓鳶では「気配り、目配り、心配り」を方針に掲げ、スタッフ同士で安全について常に注意し合っています。