プロフィール 大阪府出身。1973年創業、1991年に法人化した、建設金物の製作を手がける(有)ウカイの三代目として生まれる。学生時代はラグビーに打ち込み、社会人となった当初は家業とはまったく異なる他業種に勤務する。2007年、26歳で家業を継ぐと、廃業寸前であった同社の経営改革に乗り出す。その後も現在に至るまで、専務取締役として同社の経営を担っている。
建築金物の製作などを手がける有限会社ウカイ。1973年に祖父が創業したという同社の経営を担うのは、三代目となる鵜飼望専務取締役だ。社会人となった当初は他業種でさまざまな経験を積み、家業を継いでからは廃業寸前だった同社を、気合と根性だけを頼りに盛り返したという。その後も、固定観念にとらわれない柔軟な発想で事業の拡大を続けている。そんな鵜飼専務の仕事に対する考え方や、求める人材についてうかがった。
未経験で家業を継ぎ経営を立て直す
鵜飼 弊社は1973年に会社員だった私の祖父が独立し、小さな倉庫と町工場を兼ねるウカイ製作所として創業しました。その後、大手ゼネコン企業との取り引きに際して1991年に現在の有限会社ウカイとして法人化。同時に鋼構造物工事業および板金工事業免許を取得しました。しかし、バブルが崩壊して以後は仕事が減少し、経営が低迷してしまっていたんです。そして、2007年。当時、私は家業とはまったくの他業種で働いていました。そのときに弟から「父ももう若くはないし、家業を継いでやってくれ」と説得されたんです。
畑山 そこで、会社の経営を引き継いだわけですか。いきなり経営を担うことになるのは、相当なご苦労があったのではないかと思います。
鵜飼 ええ、本当に大変でしたね。正直言いますと、私が引き継いだ当初はいつ廃業してもおかしくないような状態だったんですよ。家業に関して、私はまったくの未経験。でも「祖父がつくった自分の名字がついた会社を簡単になくすわけにはいかない」という一心で、手探りの状態から気合と根性だけを頼りに経営をスタートしました。その結果、どうにか3年で盛り返すことができたんです。