勝又 いえ、私は音楽好きの完全なリスナーなんです。幼稚園児の時に、好きだったアメリカのロックバンド、「モンキーズ」のレコードを買ってもらって以来、あらゆるジャンルの音楽を聴くようになりました。
鶴久 幼稚園でモンキーズですか! 音楽への目覚めが早いですね(笑)。ちなみにオーディオにはもともと興味をお持ちだったのですか?
勝又 はい。小・中学生の頃に興味を持ち、ラジカセにスピーカーをいくつもつなげて遊んでいましたね。その後は、成長するにつれて高品質を求めるようになっていきました。いわゆる音響マニアですね(笑)
鶴久 そこからどんな経緯でスタジオ経営の道へ?
勝又 高校の電気科を卒業後、電気工事職に就き、その後は土工だった父の仕事を手伝っていましてね。その頃現場で、バンド活動をしていた者との出会いがあり、彼の「裾野市近辺にしっかりとした音楽スタジオが欲しい」という一言で建設を決めたんです。
鶴久 建設にも音響にも明るい勝又代表だからこそ、決断も実現も迅速だったわけですね。
勝又 ええ。そして1990年頃には、家の資材置き場の脇に初のスタジオを建て、裾野店をオープンしたんです。三島店は2005年頃、別の方が経営していたスタジオを居抜きの形で引き継ぎました。
鶴久 すると、設立からもう四半世紀以上が経つわけだ。歴史を感じますね。裾野も三島もスタジオ自体が少ない地域とのこと。裾野店を建設するうえでこだわったのはどんな点ですか。
勝又 こだわったのは“本物”であること。当時も今も、地域に快適な環境が整ったスタジオが少ないんですよ。そこでまずは、内装を徹底しました。例えば、音の共鳴による箱鳴りを防ぐため、柱が等間隔に並ばないように立て方を工夫し、天井と床下には90㎝の空間を設けて、低音の抜けを良くしています。
鶴久 すると、設立からもう四半世紀以上が経つわけだ。歴史を感じますね。裾野も三島もスタジオ自体が少ない地域とのこと。裾野店を建設するうえでこだわったのはどんな点ですか。
勝又 こだわったのは“本物”であること。当時も今も、地域に快適な環境が整ったスタジオが少ないんですよ。そこでまずは、内装を徹底しました。例えば、音の共鳴による箱鳴りを防ぐため、柱が等間隔に並ばないように立て方を工夫し、天井と床下には90㎝の空間を設けて、低音の抜けを良くしています。