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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 東京都出身。大学院修了後は三菱自動車工業(株)に就職した。4年間の勤務の後に(株)矢口昇商店に入社。2005年より現職。現在は、不動産賃貸業を業務の中心として、事業を展開している。【ホームページ】 
 
 
 
1958年に設立された株式会社矢口昇商店。その3代目として代表取締役社長を務めるのが矢口実氏だ。明治時代に遡る創業当初に箒の材料商から始まった事業も、箒の製造・販売、貿易事業など時代の流れとともに変革していき、今では不動産賃貸業を中心に事業を展開。創業するも長く続かない企業が多い中、同社はどのように時代の荒波を乗り越え、企業として存続を図ってきたのだろうか。その秘密を探るべく、矢口社長に話をうかがった。
 
 
 

箒製造から不動産賃貸業へ

 
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インタビュアー 鈴木啓太(サッカー元日本代表)
鈴木 矢口昇商店さんは、なんと明治時代から続く歴史ある会社だそうですね。現在は、不動産賃貸事業をメインに手がけていらっしゃるということですが、創業当時はどういったことを?
 
矢口 もともとは、箒の材料商から始まり、昭和に入った頃には製造・販売も手がけていました。2016年現在建て替え中の本社ビルは1969年にできたものです。当時はそこに箒を保管して、配送まで手がけていました。しかし、時代の流れと共に業態にも変化がありましてね。世の中の物流がアウトソーシングになり、箒は茨城の工場から直接配送するように変わっていきました。そこで箒を保管していた本社ビルの空きスペースを、人に貸すことになったんですよ。
 
鈴木 なるほど。業態の変化が、不動産賃貸業を手がけるきっかけとなったんですね。
 
矢口 はい。最初の頃にテナントとして入ってきたのは印刷関係がほとんどでした。当社が拠点を構えるこの西早稲田界隈は、古くから印刷業が地場産業なんですよ。
 
鈴木 印刷も、今ほど簡単にはできない時代でしょうから、より多くの人手が必要だったと想像ができます。
 
矢口 ええ、当時は印刷に関わる各工程それぞれに人が必要な時代でしたからね。しかしその後IT化が進むと、印刷業界は大きく変わってしまいました。そこで、今度は空いてしまったスペースを、トランクルームや貸しスタジオを運営する会社に貸すことにしたのです。トランクルームを始めたのは15年以上前ですから、当時としては先駆け。お客様からも非常に好評でしたね。