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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 広島県出身。パイロットを目指し、航空自衛隊の航空学生試験を受けるも視力検査で不合格に。しかし工業高校出身の経歴が買われ、戦闘機の電子機器担当メカニックとして入隊。退役後は大学に入学して情報工学を学び、卒業後にIT業界へ。SEとして多くの業務システムの構築に携わり、1997年に未来情報システム(株)を創業した。2011年頃より経営に専念しているが、長く社員と共に開発業務に携わってきた現役SEでもある。
 
 
 
普段何気なく使っているATMも、複雑なプログラムによって稼働している。物事の仕組みが複雑になるにつれてトラブルが増えるのは必然だが、仮にATMのダウンが起こると、市民生活や経済に多大な影響を与えてしまう。そこで、高度な知識・技術力を持つ人的パワーを結集させ、リスクを極限まで減らしたシステム開発業務を行っているのが金融特化型SE集団の未来情報システム株式会社だ。表舞台には現れない、しかしながら重要な仕事にスポットを当てた。
 
 
 

戦闘機に乗れずIT業界へ!?

 
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インタビュアー 片山右京(元F1レーサー)
片山 私の息子はSEなのですが、いっぽうの私はF1しか知らないIT音痴なんです(笑)。松浦社長は、IT業界に入られて長いのですか。
 
松浦 かれこれ40年弱になります。1970年代のコンピュータといえば、オフィスビルのワンフロアを占めるような大規模設備でありながら性能は今のパソコンより劣る。まさしくIT業界の黎明期でした。
 
片山 まだインターネットも普及していない頃ですよね。そのような時期に、なぜIT業界を目指されたんでしょう。
 
松浦 少年時代は、パイロットになりたかったんですよ。それで航空自衛隊の入隊試験を受けたのですが、視力検査で不合格となりましてね。しかし、機械が好きで工業高校で学んだことから、戦闘機のメカニックとして入隊。整備にも様々な役割がある中、私が配属されたのは戦闘機搭載型電子機器を扱う部署でした。
 
片山 なるほど、自衛隊の機器には常に最新のシステムが使われると聞きますから、当時の最先端のお仕事に就かれたわけですね。
 
松浦 はい。そこで電子機器のノウハウを学び、退役後は大学に通って情報工学を専門的に学びました。そして卒業後、業務システム開発を主業務とする会社に就職したのです。