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 日本は地震国なので、企業や自治体はBCP(事業継続計画) のリスク要因の第一に地震を上げ、対策を考えてきた。過去に津波の被害を受けている三陸では、高い防波堤を築くなどの防災対策を施してきた。しかし、今回の 「東日本大震災」 は、そうした人の手による対策をいとも簡単に超えてしまった。大自然の力の前に、BCPは無力だったのだろうか。「想定外だったから」 という言葉で済ませてしまってよいのだろうか。今回の震災で明らかになった問題点を整理して、これから必要とされるBCPはどうあるべきかについて考えてみたい。
 
 


自治体の窓口業務がそっくり流されてしまった

 
 被害を大きくしたのは、地震の後に襲ってきた大津波だった。庁舎が津波に襲われ、窓口機能がそっくり流されてしまった自治体もある。宮城県の南三陸町と女川町、岩手県の陸前高田市と大槌町では、戸籍の正本が津波で消失してしまったという。
 
「どこでも、住民票や印鑑証明などを出す窓口は庁舎の1階にありますが、ほとんどの役場で、窓口のパソコンやカウンターが流されてしまっていました。罹災証明や住民票の発行などの作業はどうするのだろうと心配になりました。これからは、データ類は階上や他の場所で保管したほうがいいのではないかと思いました」
 
 震災直後に現地に入った報道カメラマンの冨田きよむさんは、ため息とともにそうもらした。阪神・淡路大震災の時ですら、自治体の庁舎が崩壊して住民情報のデータや台帳がなくなることはなかったからだ。
 昨年7月号 「地方自治体のBCP」 の回で触れたように、2008年7月時点でBCPを策定していた自治体は都道府県で6.4% 、市区町村までを含めた全体では2.4%しかなかった。企業は、災害への対応が遅れれば業務停止に追い込まれ、倒産を余儀なくされる恐れがある。自治体は、住民サービスが多少遅れたからといって存亡の危機に陥ることはない。BCPへの意識や関心が低いのも当然かもしれない。まさに、そんな状況にあるところを、東北の町々は直撃されたのだ。
 庁舎をなくした自治体は、町内の体育館や小学校、公民館、教育センターなどに窓口業務機能を移して対応に当たった。東電の福島第一原発の影響を受けた双葉町など福島県の6町2村は、県内の他の自治体の施設に役場機能を移した。
 震災直後から、全国の自治体の職員が続々と現地に入り、各々の専門分野で支援を始めた。名古屋市は、河村市長が陸前高田市に30人の職員を派遣。長期滞在も視野に入れているという。神戸など関西の自治体で作る「関西広域連合」では、各自治体から、阪神・淡路大震災を経験した災害復旧や窓口業務の専門家を東北3県に派遣した。総務省もバックアップ体制を打ち出し、被災地支援の仕組みが活発に動き出している。
 
 


企業には横からの支援やボランティアは期待できない

 
 自治体で、このような横の連携や応援が即座に可能になるのは、自治体の基幹業務に共通の部分が多いからだ。組織は違っても、業務に精通した専門家が出かけていってすぐ支援できる。業務のシステム化・マニュアル化が進んでいるので、ボランティアの協力も仰ぐことができる。ところが、企業の場合は、業種や規模によって業務内容が異なるので、自治体のような横からの応援やボランティアの支援を受けるのは不可能である。自分の身は自分で守らなければならない。
 石巻市では、市内にある企業2600社のうち67%以上に当たる1749社が津波の被害に遭ったという。正社員だけで1万8千人。この人たちは、事業が再建できなければ解雇もあり得るのだ。
 大手製造業の中には、東北の工場で作っていたものを九州の工場で代替生産するなど、初動を含めたBCPがうまく機能したところもあったという。だが、自動車メーカーのほとんどが、部品工場が被災して供給がストップしたために、生産中止に追い込まれた。サプライチェーンの寸断による影響で、存亡の危機に瀕している企業が、業種を問わず、国内だけでなく海外でもじわじわと広がっている。
 一方、福島原発の放射能の影響を懸念して、外資系企業の中には東京の本社機能を大阪など西日本に移す動きも見られる。社員やアルバイト、家族も西日本に避難させているという。事業継続をシビアに考える外国企業にとっては、こうした対処方法も企業を存続させるためのれっきとしたBCPの手段なのだ。「過剰反応だ」 の一言では片付けられないものがあるのではないだろうか。生産を競合会社に頼むなど、新しい生き残り策を追求するべきという意見もある。日本の企業は、どこまで合理的に考えることができるだろうか。
 
 


東京都の支援で策定したBCPが震度5で役立った

 
 地震が起きるたびに、引き合いに出されるのが東京都である。いつ直下型大地震に襲われても不思議ではないと言われている東京都は、人口1300万人、事業所の数が50万社を超える。しかも、東京にある企業の99%は中小企業で、BCPを導入している割合はたった6%でしかない(平成21年度のアンケート調査)。
 そのような状況を重く見た東京都は、昨年8月、東京を支えている中小企業を応援して強い東京を作るために、都内の中小企業35社向けにBCP策定の支援事業を行った (本コラム・2010年9月号「東京発!世界の先進モデル」参照)。そして今年3月、その35社がどのようなリスクテーマを上げてBCPを策定したかを詳しく紹介したリポート 「平成22年度東京都BCP策定支援事業 取組事例集(完全版)」 が出された。
 今回、東京は震度5強の揺れに襲われた。被害はほとんどなかったが、これらの企業は策定したBCPに従ってスムーズに行動できたのだろうか。BCP策定前と後で変わったこと、気づいたことはあったのだろうか。パーティクルボード製造販売を手がける東京ボード株式会社(江東区新木場・社員160人) に聞いてみた (パーティクルボードは、チップ=木材片を固めた板状の製品。同社は100%、産業廃棄物である廃木材から製造している)。
 同社では、井上弘之社長が中心になって、地震時の製造現場での緊急避難と二次災害の防止をBCP策定のテーマに据えた。工場内での荷崩れを防ぐための積み方の改善、ポールの設置、製造装置の故障に備えた予備部品の購入や日常点検の強化などだ。昨年12月末には社内演習を行い、工場内の避難経路の確認と徹底(どこを通って逃げるか) を全社員が経験した。重要な取引先に対しては、被災状況と復旧見込みの連絡や先方の状況把握を携帯電話メールで行う仕組みを作った。
 
 「完成した製品は、フォークリフトで工場内に積み上げるので、5m弱の山になります。積み荷が崩れて下敷きになったら死ぬ可能性もあります。それを防止するため、積み方を工夫しました。工場内は騒音でうるさいので、下敷きになったときに場所を知らせるために、ヘルメットに笛をつけさせました。今回の地震では荷崩れが起きましたが、怪我人はありませんでした。12月に避難のシミュレーションをしていたおかげで、それぞれの持ち場の人たちが混乱もなく工場の外へ避難することができました」(営業管理部次長の長嶌正英氏)
 
 BCPを策定せず、避難訓練の経験がなかったら、どのような混乱が起こっていたかわからないという。機能するだろうと思われていた携帯電話メールによる取引先との連絡方法や社員の安否確認の手段は、実際にやってみてつながりにくいことがわかった。その解決策として、無線機を本社に2個、工場の2ヶ所に2個づつ(計6個) 設置したという。
 「今回は 『BCPの発動』 には至りませんでしたが、震度5の揺れに対しても慌てることなく行動でき、有事でなければ確認できないBCPの不備も発見することができました」(長嶌氏)
 ささやかなりとはいえ、BCP策定を策定していたからこそ確認できた効果と言えるのではないだろうか。

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 これまで、新型インフルエンザに比べたら、地震の被害は局地的だと言われてきた。今回、その常識も覆された。地震、津波、原発事故、風評の四重苦による複合的な被害は、確かにBCPで対処できるレベルを超えている。かといってすべてを 「想定外」 で済ませてよいのだろうか。今回の震災は、これまで見えていなかったリスクが一定確率として存在することを示した。千年に1度のリスクを想定して対策を考えることはむずかしいが、地震列島でビジネスを展開していく以上、地震と向き合って進む以外に選択の余地はない。備えが不十分かもしれないことを認識しつつ、つねにリスクに見舞われることを想定し、自社でできるところから事業継続の改善をはかっていく必要がある。BCP策定を支援するコンサルティング会社も、今回の震災を十分に検証したうえで適切なアドバイスを提案していってほしい。私自身これからも、新たな視点に立ってBCPの必要性、可能性を考えていきたい。
 

 
 
 

 プロフィール 

古俣愼吾 Shingo Komata

ジャーナリスト

 経 歴 

1945年、中国生まれ。新潟市出身。中央大学法学部卒業。広告代理店勤務の後フリーライターに転身。週刊誌、月刊誌等で事件、エンターテインメントものを取材・執筆。2000年頃からビジネス誌、IT関連雑誌等でビジネス関連、IT関連の記事を執筆。2006年から企業の事業継続計画(BCP)のテーマに取り組んでいる。

 
 

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