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繁盛請負人・佐藤勝人の時事国々リポート vol.91 創業25年目に入った今月9日。自分のコンサルタントとしての原点を思い返した

ビジネス 繁盛請負人・佐藤勝人の時事国々リポート vol.91 創業25年目に入った今月9日。自分のコンサルタントとしての原点を思い返した 繁盛請負人・佐藤勝人の時事国々リポート 商業経営コンサルタント/サトーカメラ代表取締役副社長

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皆さんこんにちは、佐藤勝人です。突然ですが、今月9日は何の日だったでしょう。ヒント――経営者がこういう謎々をかけるときは大体が私事です(笑)。そうです。5月9日は、我が日本販売促進研究所(Japan Sales Promotion laboratory:JSPL)の創業記念日でした。
 
 

ただのカメラ屋のあんちゃんが
勧められてコンサルタントになった

 
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各地からお声がけいただけることに感謝です
私がJSPLを創業して初めてコンサルタントになったのは24年前。2000年5月9日、佐藤勝人35歳の年だった。
 
その3年前、32歳のときに、当時船井総合研究所の取締役本部長だった宮内亨先生に、独学で実践していた地域一番店商法論を見い出され、「船井に来ないか。キミはコンサルタントに向いている」と声をかけられてね。当時の私はコンサルタントという職業にまったく興味がなかったし、船井総研という会社もロクに知らない栃木のファミリー企業の次男坊、ただのカメラ屋のあんちゃんだ。自己認識がそれだから、私は迷うことなく断った。
 
でも、宮内先生はその後も事あるごとに、コンサルタントになれコンサルタントになれ、と言ってきた。「絶対向いてるから」と。「船井が嫌なら自分でコンサル会社をやったらどうだ」とも提案してくれて、社名まで命名してくれた。とうとう私は根負けして「そこまで言ってくれるならやってみるか?」とJ S P Lを創業した。当時、息子が小学生だったので、父親として会社の一つぐらいつくって残しておいてあげたい気持ちもあった。
 
 

講演から始めた
コンサルタントとしてのキャリア

 
だから創業日は息子の誕生日である5月9日にした。創業はしたものの、自分からなりたくてなったコンサルタントじゃないから、何をして稼ごうという頭はない。けど、宮内先生経由で私のことを知った船井総研の先生たちが講演の機会を組んでくれて、いきなり講演家としてのキャリアを積んでいった。
 
一回大体2時間、舞台の上でしゃべり倒すだけで20万円は貰えたから、こんなオイシイ仕事はなかった。呼ばれたら聴衆に合わせてわかりやすく話をしなきゃいけないから、自分のやっていることを言語化したり論理化したりするのに本を読み始めたら、ハマってね。これは今思ってもありがたかった。
 
それに、私は自分の講演を台本なしのスタイルで通していた。観客の反応を瞬時にキャッチして即興で組み立てる。壇上から観客をロックする感覚は子どもの頃憧れたミュージシャンさながらで、その醍醐味にもハマった私は、講演を引き受けては並行して商工会議所のセミナー講師も受けるようになり、呼ばれれば会場がどこであろうと大小問わず行っていたら、年間150本は超えていた。
 
それを5年10年と続けているうちに、しゃべって終わりだから私は楽なのだが、せっかく気に入ってくれて勉強したいと言ってくれる経営者に対してその後のフォローも何もしないのが悪い気がしてきてね。何のためという大義がないままやっていたせいで飽きてきたのもあって、あらためて「地方創生は地方商業から」という大義を持ち、商業者育成の意味も込めて「勝人塾」を主宰し、各地で経営相談に乗る試みを始めた。
 
ちなみに、コンサルタントという職業はタレント的な側面もあるので、講演家、セミナー講師、ビジネス書作家と目されるレベルになれば、生産性の低い個別支援は基本的にやりたがらない。また、短期的な案件は受けたとしても、長期で個別支援に入るコンサル会社は少ない。JSPLみたいに個別支援に入ったり、アメリカ流通視察まで手がけたりするコンサル会社は、例外中の例外になってきた。
 
 

成長し続けられた理由は「断らなかったから」。
どんな無茶ぶりもむしろ楽しんでいた

 
そうやっていろいろな分野を網羅しつつコンサルタントとして成長し続けられた理由は、来た依頼は断らなかったから。これに尽きると思う。
 
「よくそんなに全部受けれますね。できなかったらどうするんですか?」と聞かれるけど、クライアントは見込みがあるから依頼するわけで、それでできなきゃ依頼主が悪いんだよ。また、そういう考えでいなきゃ務まらない仕事でもあるから。私なんか、講演で一度だけ、稲盛先生クラスの大御所の代役も務めたからね。
 
普通ならば断るよ。受けないよ。でも、40歳になる前だったかな。千葉県で行われた講演会で、その大御所が急に体調を崩して入院されたとかで講演ができなくなって、講師派遣会社から代役の打診が来た。もちろん、私に来る前に、見劣りしない先生方には片っ端から声をかけたはずだ。著名なコンサルタントは私の前に何人もいたはずだ。でも、全員から断られたんだろうね。それで私にお鉢が回ってきたわけだ。
 
確か、開催日の1週間前。本当の土壇場だ。話を聞いたとき、私は、その大御所の代役ということに怖じ気づくよりも、むしろおもしろそうだと思った。
 
その方のいわゆるファンの経営者たちは、海千山千の大先輩ばかり。その人たちが集まる大会場に、私みたいな若造が、Gジャンにキャップといういつもの格好で現れたらどんな反応をすることか。そこからどうやって私の土俵に持ち込むか。そのほうが楽しみだった。――今思っても我ながらよく受けたと思う。もちろん、当日はバッチリ会場をロックオンしたけどね。
 
 

恩師の一言で自分の本質を知った日
私にとってコンサルタントは究極の遊び

 
創業25年目を迎え、これから会社をどうしたいというイメージはない。「日本の商業者の育成」以外のことは考えていないからだ。コンサルタントは私欲を捨てて使命感を持たないとできない仕事だ。私は今までずっと、「こっち(JSPL)では商業経営の探求者でいさせてくれ」と言ってきた。サトーカメラでは自分はどうしたって経営者だ、こっちでも経営者を求めるのはやめてくれ、と。
 
多分、願望として、私は誰かの掌の上で転がされていたいのだろうと思う。自分のためにガツガツと頑張るタイプではない。それより人のために没頭したいタイプなのだ。
 
そう考えて思い出したけど、宮内先生に「勝人さんは力があるのだから、年商10億円のコンサルタント会社にすればいい」と言われていてね。私も検討したけど、「そういう考えはないんだわ。悪いけど」とハッキリ断った。それまで宮内先生の勧めを一度も断ったことがなかった私が、自分のコンサルタント会社を大きくしようという考えだけは乗れなかったのだ。
 
宮内先生は私の返事を聞いて言った。「勝人さんは味わって生きていたい人なんだよ」と。私は「それっていいことなの? 悪いことなの?」と聞いた。宮内先生は「いいことだよ」と言った。その満足そうな顔を見て、私は「よし、俺はこれで行こう」と心に決めた。
 
それやこれやを考え合わせると、私にとってコンサルタント業は結局、最高の趣味であり、究極の遊びなんだろう。私がそう話すと、編集部の担当者さんが、「それは『遊びをせんとや生れけむ』の歌の意味での遊びですよ」と言った。「高杉晋作の『おもしろきことも無き世をおもしろく~』のニュアンスですよね」とも言ってくれた。そうなのかな。まぁ、そう思うならそういうことにしておこうか。
 
創業25年目に入った記念の日に、自分のコンサルタント業の原点をあらためて思い出しました。これからも株式会社日本販売促進研究所をよろしくお願いします。
 
 
 
■5月23日・24日 第15回サトカメ栃木RMG流通版
事務局 サトーカメラ法人営業課
https://www.facebook.com/events/410927271685099
 
■5月29日 新潟勝人塾
事務局 おぐま経営研究所
 
■6月19日・20日 富山勝人塾
事務局 滑川ショッピングセンター
 
■最新著書「地域密着店がリアルとネットで全国繁盛店になる方法」
https://amzn.to/3EfDs6W
 
■佐藤勝人YouTubeチャンネル
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繁盛請負人・佐藤勝人の時事国々リポート
vol.91 創業25年目に入った今月9日。自分のコンサルタントとしての原点を思い返した
(2024.5.22)

 著者プロフィール  

佐藤 勝人 Katsuhito Sato

サトーカメラ代表取締役副社長/日本販売促進研究所.商業経営コンサルタント/想道美留(上海)有限公司チーフコンサルタント/作新学院大学客員教授/宇都宮メディア.アーツ専門学校特別講師/商業経営者育成「勝人塾」塾長

 経 歴  

栃木県宇都宮市生まれ。1988年、23歳で家業のカメラ店を地域密着型のカメラ写真専門店に業態転換し社員ゼロから兄弟でスタート。「想い出をキレイに一生残すために」という企業理念のもと、栃木県エリアに絞り込み専門分野に集中特化することで独自の経営スタイルを確立しながら自身4度目となるビジネスモデルの変革に挑戦中。栃木県民のカメラ・レンズ年間消費量を全国平均の3倍以上に押し上げ圧倒的1位を獲得(総務省調べ)。2015年キヤノン中国と業務提携しサトーカメラ宇都宮本店をモデルにしたアジア№1の上海ショールームを開設。中国のカメラ業界のコンサルティングにも携わっている。また商業経営コンサルタントとしても全国15ヶ所で経営者育成塾「勝人塾」を主宰。実務家歴39年目にして商業経営コンサルタント歴22年目と二足の草鞋を履き続ける実践的育成法で唯一無二の指導者となる。年商1000万〜1兆円企業と支援先は広がり、規模・業態・業種・業界を問わず、あらゆる企業から評価を得ている。最新刊に「地域密着店がリアル×ネットで全国繁盛店になる方法」(同文館出版)がある。Youtube公式チャンネル「サトーカメラch」「佐藤勝人」でも情報発信中。

 オフィシャルサイト 

https://jspl.co.jp/

 オフィシャルフェイスブック 

https://www.facebook.com/katsuhito.sato.3?fref=ts

 サトーカメラオフィシャルサイト 

http://satocame.com/

 YouTube公式チャンネル 

https://www.youtube.com/channel/UCIQ9ZqkdLveVDy9I91cDSZA (サトーカメラch)

https://www.youtube.com/channel/UC4IpsvZJ6UlNcTRHPgjellw (佐藤勝人)

 
 
 

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