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社会 伊東乾の「知の品格」 vol.3 学位の品位はどこに(1) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

社会
 
『知性の品格』を考えるうえで、最近残念に思っていることがあります。またしてもSTAP細胞に関連する問題なのですが、その中でもほとんどのマスコミ・報道機関が触れず、意識すらしていない「学位取得の不正」に関するポイント、これについて考えてみたいのです。
 
 

早大大学院での博士学位詐取問題

 
理化学研究所から『不正』を指摘された女性若手研究者ですが、多くの記事は「果たしてSTAP細胞が<存在するか>?<存在しないか>??」を問題にしています。
 
が、これがそもそも大間違いであることを、驚くほど誰もきちんと指摘しません。現実には、プロの研究者、旧国研の独立行政法人の専従で、研究公務に責任を持つ人であれば「内容が正しいかよくわからない」論文を公刊したこと、その時点でアウトで、一定の責任を問われ得るものです。つまり、各国で追試しようとしてみたところ、どこでも一切再現できないような内容を「論文」として公刊したことは、その時点で研究者としてレッドカードを出される種のものに他なりません。
 
が、そんな明白な「アウト」でも「いや、セーフだ」などと強弁し、挙げ句の果てに弁護士なども登場して、現在のSTAP狂言が展開しているわけですが、そこで見落とされているのが博士論文における既存業績の無断盗用、剽窃による学位詐取の問題です。
 
学位論文のなかで、背景理論に相当する部分をほぼ丸ごと一章、既存の業績から「コピーペーストしてきた」というこのお粗末は、「コピペ」などというカタカナでごまかされるべきではなく、正規の引用として出典を明らかにしない「盗作転載」であり、かつ一章丸ごとというのは「気がつきませんでした」といったレベルではない、故意が明らかでうっかりとか不注意とかいう言い逃れが通用する代物ではありません。
 
それを自分の論文だと称して、学位の審査委員会を欺き、最終試験を通過して学位を得たことになっていますが、この学位詐取はSTAP細胞問題本件以上に、早稲田大学大学院に致命的なダメージを与えかねない代物であること、ここで知の信頼と学の府としての品格を守らなければ、早大大学院は程なく崩壊しかねないことを、大げさな話でなく、事実の積み上げとして淡々とご説明したいと思うのです。
 
 

学位とは何か?

 
そもそも、日本社会一般は「学位」とは何であるか、理解を共有していないと思われます。まずそこからお話してみましょう。
 
小学校、中学校を卒業すれば、おのおの「卒業証書」を貰います。これは高等学校でも同様ですが、大学の場合、卒業証書は元来「学士」(英語ではバチェラー)という学問上の位階、つまり一種の資格を認められるものでした。
 
少なくとも夏目漱石の時代には「学士さま」は日本全国でも限られた人数しかいない、その分野の専門家として認められる存在だった。たとえば漱石自身は東京帝国大学文学部英文科を卒業した「学士さま」で、イギリス留学を経て東京帝国大学、第一高等学校の講師に就任しています。
 
つまり「なになに学部」を卒業し「学士」の学位を持った人とは、元来はその分野について一通りの内容をもれなく修め、教科書を手にすれば初学者に内容を教授できる程度に「専門のトッププロ」だったのです。
 
どうしてそれが、現在のような状態になってしまったか、そのプロセスは別の機会に譲るとしましょう。漱石が大学を卒業した1893年から120余年、21世紀の日本で、大学学部を卒業しても、残念ながらその道のプロとして認められることは、一部の例外を除いてありません。例外は「医学部」「歯学部」「獣医学部」などで、むろん国家試験を受けねば医師や歯科医師、獣医になることはできませんが、学部卒が即専門家の卵という「学士さま」の名残が、現在でもはっきり判る例でしょう。
 
この「学士」よりも上位に来るのが「修士」(マスター)そして「博士」(ドクター)で、おのおの元来は明確に学位の認定基準があったものですが、現代日本ではそれがよく分からないことになってしまっています。皆さん「修士の条件」って何だと思われますか? そして「博士の条件」とは?
 
少しお時間を差し上げます。どうぞご自身で考えて見て下さい。貴方が私設大学院を設けるとしたら、どんな人に修士号を出しますか? またどんな論文を書いたら「博士」に認定しますか? 一つお願いしたいのは、少なくとも審査委員会を謀って盗用業績で学位を掠め取るようなものには、学位は出さない基準にして下さい。最低限の知の品格にもとってしまいますので・・・。
 
(この項つづく)
 
 
 
 
 伊東乾の「知の品格」
vol.3 学位の品位はどこに(1) 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2014.6.4)
 
 
 

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