最近のビジネスに関するWebや雑誌記事のタイトルを見渡すと、「経営」と「デザイン」というワードが並ぶことを見かける機会がとても多くなっています。ただし、そこでも出てくるワードのほとんどがデザイン思考です。(p201)
「デザイン」も「思考」もそもそも抽象的な概念なので、また日本語はカナ文化のおかげで外来の文物を取り入れる際に抵抗が少ないので、デザイン思考を「デザイン的に思考すること」となんとなく理解できてしまいます。ですが、それは具体的にどういうことか、と聞かれると説明に困る人が大半ではないでしょうか。
本書にも出てくる1つの答えは「デザイナーのごとく考えること」(p118)。しかしこれも、ではデザイナーはどのように考えているのか、と突っ込んで考えるとまたわからなくなりそうです。本書はこれらのテーマに対し、例えば終章(第6章)に出てくる「マネジメント態度」と「デザイン態度」のように、一般のビジネスパーソンにもわかる言葉で解説してくれる1冊です。
ただ、この先が職業デザイナー以外には“目からウロコ”なのですが、デザインという概念のとらえ方にも欧州軸のそれとアメリカ軸のそれがあり、双方のデザイナーが物や事を考える際の考え方も変わってくるそう。ちなみに引用で八重樫氏が指摘した「デザイン思考」はアメリカ軸の概念です。
海外の文物・思潮を取り入れるときに日本はどうしてもアメリカ発で取り入れることが多く、その結果、アメリカ的見方がすべてになってしまいがちです。本書3、4章は「デザイン」ないし「デザインする」ことに対する扱いや考え方がアメリカと欧州で違っている理由を双方の成り立ちから説いていますが、自社の商品や事業にデザインの知見を取り入れる際に、両者が別物であることを意識しているビジネスパーソンが日本にどれだけいるか。恥ずかしながら評者も含め、違いがあることすら意識していないケースが大半ではないでしょうか。
これはヨーロピアンブランドとアメリカンブランドはなんとなく雰囲気でわかるというレベルの違いではありません。3章92~94ページにある詳しい説明から、そのことが端的にわかる1節を抜き出してみます。引用文からの引用です。
アメリカではデザインすることは、より多く売ることを意味している。一方、つい最近までイタリアでは、人生に解釈や説明を与えることがデザインだった。(佐藤和子『「時」を生きる イタリア・デザイン』TBSブリタニカ 2001年)
本書によれば、アメリカ軸のデザインの概念はデザインとスタイリングを同一視しています。アメリカが考えるデザインないしデザインすることは、自社の商品がマーケットでプレゼンスを得るための「スタイル」です。色や形を指す狭義のデザインまで含めて、一種の当為性の範疇にあります。
一方で欧州軸のデザインの概念は「企図」「意図」に近い。だから他者による解釈を想定しています。解釈に向けて開かれていると言ってもいい。色や形による狭義のデザインですらも、これから解釈を待つものです。ここにはアメリカ的当為性はありません。
そして、本書の副題――これからの商品は「意味」を考える――が、ここで日本企業につながります。日本ももともと文化的には、事や物に企みと象徴(=記号)と解釈の遊びをこめたがる、「意味の体系」の王国です。本書で提唱される「意味のイノベーション」は丁寧にいえば「商品やサービスが使われることの意味を新しく変えることによるイノベーション」ですが、それこそ日本の得意分野のはず。例えば終章(6章)で紹介される欧州の「アーティスティック・インターベンション」――芸術の力を利用してビジネスにイノベーションを起こす試み――などは、連歌・俳諧における上句と下句の付け合いを思わせられます。
なお本書によると、EUでは現在、デザインを産業施策に活かすにあたり、アメリカ発祥の「デザイン思考」と本書が依拠する欧州発祥の「デザイン・ドリブン・イノベーション」の両輪で取り組んでいるそうです。前者はユーザー観察に始まる特徴からして斬新的イノベーションに向いており、後者は新たな意味の発見を起点にすることから急進的イノベーションが得意なのだそう。となれば、両方備えたEUが一段有利に思えますが、アメリカもEUに対抗すべく、「デザイン思考」の弱点である創造性の補強に向けて、目下スタンフォード大学が提唱元のデザイン事務所と組んで研究を進めているといいますから、予断を許しません。
デザインをめぐる世界の覇権争いが今後どうなるのか。第3の極は現れるのか。日本はどこから参戦すべきか。そんな興味からも読める1冊。勉強になりました。