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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1967年生まれ。青森県五戸市出身。五戸高校時代に全国高校サッカー選手権で活躍し、ユース年代の日本代表にも選出された。卒業後は日本リーグ (当時) の住友金属に入団。チームが鹿島アントラーズと名称を変更する1992年まで在籍した。1993年、当時地域リーグのNEC山形 (現モンテディオ山形)に移籍。1995年に引退し、以降は指導者への道を歩む。NEC山形、大分トリニータでコーチを務めた後、2004年にベガルタ仙台のコーチとなる。山形時代から数えて計12年の間に、数多くの監督の下でコーチを歴任し、ノウハウを蓄積。2008年に監督に就任した。2009年にJ2リーグ優勝。2012年にはJ1で2位の成績を残している。
 
 
 
現役引退後、「東北のサッカーチームで指導者になる」 ことを目指してきた手倉森誠氏。2008年、ベガルタ仙台監督に就任すると、安定した成績を残せずにJ2での戦いを余儀なくされていたチームを昇格に導き、J1で優勝を争えるほどの組織へと生まれ変わらせた。今シーズンは就任当初に目標に掲げた、アジアチャンピオンズリーグ (以下ACL) への出場も果たしている。着実にチーム力を向上し、チームをステップアップさせてきたその手腕に対する評価は高い。そんな手倉森氏が監督就任後から、チーム、そしてクラブ全体に植え付けてきたメンタリティーとは、いかなるものだったのだろうか。
 
 

就任直後から「ACLに出る」と公言

 
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 私はコーチ時代も含め、2004年からベガルタ仙台に在籍しています。当時のチームはJ2に降格したばかりで、フロントもサポーターの皆さんも、早くJ1に復帰することを目標にしていました。しかしその後、数シーズンにわたり昇格を果たせず、チームの成長は停滞したまま。結果が出ないから監督は辞めざるを得なくなり、監督が代わるとチームの軸となる選手も入れ替わる。そんな継続性のないチームづくりが繰り返されていました。監督や選手、つまり現場の人間が犠牲になっているクラブの状況を目の当たりにしながら、「自分が監督だったらこうするのに」 と歯がゆい思いでいましたね。
 東北人って調子がいい時は盛り上げてくれるんです。でも、落ち目になるとそっぽを向いてしまう。心変わりが早いんですね。サッカー後進地域ですから仕方ないのかもしれませんが、私自身も青森出身の東北人。東北が好きで愛しているからこそ、東北をもっといいところにしたい。このクラブの体質を変えて、東北発展のシンボルとなるチームにしたいと思っていました。
 そのためには、Jリーグ屈指の強豪クラブになる必要がある。昇格するだけでは、「おめでとう」 で終わりです。それに、昇格だけで満足しているようなチームは、いずれまた降格してしまうんですよ。だから、監督に就任した時、「5年後にACLに出る」 と宣言しました。真面目に受け取ってくれる人はあまりいなかったですけどね(笑)。でも、フロントも 「世界を舞台に戦う」 という目標に向かって、長期的スパンでクラブを運営していく覚悟を持ってほしい。サポーターにも、少しずつでも成長していくから、長い目でチームを応援する覚悟を持ってほしい。そういうことを伝えたかったんです。もちろん結果が出なければ私も辞めざるを得なくなる。そんな覚悟を持って就任しました。
 
 
 
 

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