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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1979年生まれ。静岡県三島市出身。小学校1年の時、地元のスポーツ少年団でサッカーを始め、中学3年の1994年にはU-16アジアユース代表として選出された。清水東高からJリーグ・ジュビロ磐田に加入。1999年ワールドユース、2000年オリンピック、2000年アジアカップ、2006年ワールドカップなど国際大会に出場し、日本屈指のストライカーとして活躍する。2001年に加入したアルゼンチン 「ボカ・ジュニアーズ」 を皮切りに、ドイツ 「ハンブルガーSV」、韓国 「水原三星ブルーウィングス」 など海外チームでのプレーを経て、「清水エスパルス」 でJリーグに復帰。“不屈のフォワード” と称されながら、チームをまとめるベテラン選手として活躍を続けている。2013年、東京ベルディに移籍。
 
 
 
今でこそ、海外のクラブチームで活躍する日本人サッカー選手の存在は当たり前のように認識されている。その礎となったのは、2002年の 「日韓」 から2006年 「ドイツ・ワールドカップ」 までの期間における、日本人選手たちの飛躍的な成長と躍進だろう。この時期に “海外チームへの移籍” という道なき道を切り拓いていった選手の中に、日本屈指のストライカーとして知られている高原直泰選手がいる。各国のクラブチームや日本代表の選手として、確実に結果を残しながら、次世代へと続く新しい道を切り拓いてきたパイオニアが、前人未踏の世界でどのように戦ってきたのか。そして、それぞれの所属チームの中で、どのように自らの力を発揮していったのか。その秘密に迫りたい。
 
 
 

どこのチームでも力を発揮する意識

 
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 日本のJリーグ、アルゼンチン、ドイツ、韓国と、世界4ヶ国のクラブチームに在籍し、フォワードのポジションでプレーをしてきましたが、それぞれのお国柄による違いなどを意識したことはありませんでした。どの国のチームに籍を置くことになっても、結局、自分がどれだけそこで “力を発揮することができるのか” のみを意識し、自分のやり方やマインドをチームに合わせてカスタマイズする必要はないと考えていたのです。
 技術面だけで考えれば、当時から日本の選手も欧州で充分に通用すると思っていましたが、問題はむしろ、外国人のチームメイトとの間にある言語の壁や文化の違い。その大きな溝を埋めるうえで足りないものを、どうやって補っていくかを考えていかなくてはなりません。日本で触れ合ってきた人々とは感覚も考え方も全く違うのですが、先入観を持たず、その違いを当然のものとして捉え、理解に努めることが大切だと、経験の中から学びましたね。
 言語は事前に学習すれば身につきますが、文化は実際に体感してみないと理解ができません。たとえば、2001年から2002年にわたって、ぼくは “ボカ・ジュニアーズ” というアルゼンチンのクラブチームに在籍していました。アルゼンチンは、当時、ちょうど国家経済が崩壊しかけていた時期で、自宅の周りの住んでいた人たちがフライパンや鍋をカンカン叩いていたり、街中にデモや暴動が横行したりしていました。サッカーの試合はスケジュール通り進んでいたのですが、チケットは物々交換で手に入れるといった状況でしたし、銀行に預けていたお金も引き出すことができず、記帳した通帳にただ 「※」 マークだけが並んでいました(笑)。国家の経済が崩壊する怖さや、そういった場面に直面した人々の行動などを目の当たりにしましたからね。日本にいたら絶対に味わうことのできない貴重な体験の連続でした。
 
 
 
 

 

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