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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1952年愛知県生まれ。レノボ・ジャパン取締役副社長(研究・開発担当)。1974年、慶応義塾大学工学部計測工学科を卒業。日本IBMに入社し、間もなく米IBMに赴任。1989年からノートパソコン(ThinkPad) の開発に携わり、世界中のエンジニアやメーカーから注目を集めるモデルを次々と発表。2001年にはIBMフェロー並びに理事(ポータブルシステム担当) に就任。米IBMでパーソナルシステム事業部バイス・プレジデント、チーフテクノロジーオフィサー(CTO) を経て、2005年、レノボ・ジャパン創立メンバーとして取締役副社長に就任。現在はノートパソコン部門にとどまらず、レノボ・グループ全体の研究開発業務を統括する役割を担っている。近著に 『ThinkPadはこうして生まれた』(幻冬舎) がある。
 
 
 
1992年に初登場してから、「ThinkPad」 は今年10月に二十歳を迎える。IBMによって育てられた時代の申し子は、やがて日本発の一大ブランドとして誰もが認めるツールとなり、レノボのもとに移ってからも絶えざる進化を続けている。その軌跡は、大和研究所というラボに属するエンジニアたちの、「新たなビジネスツールとしてコンピューターの利用概念を変える」 という情熱によって支えられてきた。エンジニアたちの意思は広くユーザーに行きわたった――確かにそうだ。しかし、「ThinkPad」 の生みの親である内藤在正氏は、そのいっぽうで進行する日本人と技術力との関係性の変化に警鐘を鳴らしている。内藤氏の言葉から、技術(商品) とユーザー(消費者) の関係の未来を探る。
 
 
 

「ThinkPad」誕生秘話

 
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 1990年代当時、ThinkPadのようなラップトップのPCが登場するまでは、「PCというものは机の上にあるもので、自宅に帰るなり、会社の自席に戻るなりしないと利用できない」 というのが当然の概念としてありました。それが時代の要請と申しますか、コンピューターに利便性が求められるようになり、どんな場所でも使えるツールが必要とされ始めたのです。実際にお客様からも 「授業中に使えるようなPCはないか」「持ち運びができるようなものはないか」 とラップトップのツールへのご要望が起こり、当時私が在職していたIBMでも開発を進めることになりました。これがそもそもの発端です。
 その頃に開発したのは、IBM PS/2のラップトップ。そこに 「ThinkPad」 のブランドをつけてリリースしたのが92年です。しかし、当時はまだ 「ラップトップコンピューター」 の概念から作っていかなくてはなりませんでした。ThinkPadの主な支持層のひとつは大学生でしたが、彼らとしては授業中に教室で使えるツールを求めていました。しかし、私たちからすると 「授業中に使えるコンピューターってどんなものだ?」「電池は何時間もてばいいんだ?」「そもそも電池が2時間もつというのはどういうことなんだ?」 と、すべてが白紙で、手探りで進むしかありませんでした。ラップトップの開発は私たちだけでなく世界で3社ほどが同時に名乗りを挙げていましたが、おそらく他社でも、その定義づけからスタートして、苦労なさっていたのではないでしょうか。
 当時は世界中にIBMの研究機関が点在し、市場のニーズに対して手を挙げ、開発に挑む仕組みになっていました。当然、自分から手を挙げて名乗り出なければ指名はかかりません。私たちは、ラップトップコンピューターという未知の製品についても、「できる」 という自信がありました。熱意もあり、技術力も十分に育ち、ラボとしてそろそろ新しい挑戦をすべき時期だとも考えていました。開発は一つひとつ発見と確認を繰り返しながら進む、まさに暗夜行路です。しかし、私たちは自信を持っていました。第1号機の明確なビジョンがあったからです。 
 
 
 
 

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