「顧客を開拓してほしい」と頼まれ商社へ

インタビュアー 石黒彩 (タレント)
小玉 私はもともと宮崎県の生まれです。父は昔の逓信省に勤める公務員でして、大阪へ単身赴任していたことから、幼少時は大阪と宮崎を行ったり来たりしていました。ところが、私が5歳のときに父が亡くなってしまったんです。やがて、姉たちが次々と上京し、私も中学へ上がるのをきっかけに、母と共に東京へ移り住みました。ここ狛江市に来てからは、もう40年くらいになりますね。
石黒 学生時代は、どのようなお子さんだったのでしょうか。
小玉 中学時代はとにかく勉強ができませんでしたね。先生の言いつけもほとんど聞きませんでしたから(笑)。ただ、英語だけは得意だったんですよ。國學院高校に入ると一生懸命に勉強を続けましたね。そして明治大学の法学部を卒業後、池袋にあった東京丸物というデパートに就職して、キッチンなどの売り場の主任を務めました。
石黒 なるほど、住宅機器を扱う小玉社長の原点は、デパートにあったんですね!
小玉 はい。デパートに入社して6、7年ほど経ったときに、取り引き先である商社の社員さんから「支店長と会ってほしい」と言われました。どんな用事だろうと出向くと、「うちに来て大口の顧客を開拓してもらいたい」と頼まれたんですよ。