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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 和歌山県出身。大学を卒業後、食品の大手卸会社に就職する。13年間勤めた後、貿易会社に転職。タイやスリランカ、スコットランドなど多くの国の輸出入に関わる。2000年4月、(株)ショーライへ入社と同時に香港の日本食品の輸入・販売会社に出向し、2014年5月に帰国。その後、創業者の後を継ぎ代表取締役に就任。少数精鋭のスタッフと共に食材の輸出を手がけている。
 
 
 
神奈川県横浜市で、日本食材の輸出を手がける株式会社ショーライ。代表取締役の井阪礼三氏は、業界の黎明期から活躍を続ける数少ない生き字引だ。わずか5人で3500種類もの食材を輸出する同社の特長は、仕入れから出荷の立ち会いまで、スタッフ全員があらゆる作業をこなせる能力の高さにあるという。何よりも信頼と協力を大切にする井阪社長は、「日本の食文化を世界中に広めたい」と情熱的に語ってくれた。
 
 
 

3ヶ月の滞在予定が4年に

 
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インタビュアー 名高達男(俳優)
名高 神奈川県横浜市で、日本食の食材輸出を手がけるショーライさん。商品はどれくらい種類があるのでしょう。
 
井阪 スーパーやレストランで取り扱う食材は、ほとんど網羅しています。おおむね3500種類ほどでしょうか。輸出先も韓国や台湾、香港、さらにインドやフィリピン、タイ、UAEそしてヨーロッパ各国と多岐にわたります。
 
名高 大変な食材の種類と国の数に驚きますね。そもそも井阪社長は、どのようなきっかけがあり食品の流通に関わることになったのですか?
 
井阪 私は大学を卒業し、大手食品卸会社に入社しました。13年勤めた後、神戸のある会社のお誘いを受け転職しまして。それを機に貿易の仕事に関わるようになり、資材の輸出、紅茶、ウィスキーなどの輸入業務に携わりました。そのときに、弊社の創業者から「一緒に仕事をしよう」と声をかけられたんです。
 
名高 井阪社長にお声がかかったのは、どのようないきさつからなのでしょう。
 
井阪 弊社の創業者は、もともと私が勤めていた大手食品卸会社の役員で、1991年に独立し弊社を設立しました。前の会社に在籍中からお世話になっており、「またいつか、一緒に仕事をしよう」とお話をいただいておりまして。実際にそれが叶ったのが2000年のこと。香港にあった日本食品の輸入・販売会社がいまひとつうまくいかないので、現地の様子を見に行ってほしいと頼まれました。最初は断ったものの「3ヶ月だけ」と説得され、結局、4年間も滞在することになったんです(笑)。
 
名高 いやぁ、井阪社長は波乱万丈の人生を送っていらっしゃいますね。そうした経験が現在のご活躍にもつながっているのでしょう。香港で学んだことがあればぜひ教えてください。
 
井阪 現地のスタッフに日本的なやり方を押しつけてはダメだということを学びました。「日本ではこうするものだ。だからその通りにしろ」ではなく、「こうするには理由がある」と説明するんです。そうすれば、話はしっかり通じるのだとわかったんです。