終焉を迎える土地本位制
~住宅エコポイントの追加導入から見えるもの~
しかしながら通常、本位制を支える「本位財」には土地とは異なる性質が求められる。価格の安定性や流通性、品質の同一性、携帯性などである。多くの経済圏で金や銀が本位財とされてきたのはこういった条件を満たすためだ。
いっぽう、土地はすぐに売却することができず、2つと同じものがない。持ち歩くこともできない。流通性、品質の同一性、携帯性においてはかなりの「劣等生」なのだ。にもかかわらず日本で本位財たり得たのは、土地が希少な島国ゆえ価格が安定的な上昇を続けてきたからだ。マイナス面を補ってあまりあるプラスがあると認識されてきたのである。その価格が本格的な下落基調に入れば、プラスはなくなり、今までは無視されてきたマイナスが強く意識されるようになる。本位財としての地位は一瞬で崩れ去るかもしれない。
◆不動産が抱えるリスクが今後は増大
そんなリスクを抱える土地を本位財としてきたのは誰なのか? この問いには明確な答えがある。銀行などの金融機関である。
戦後の高度成長期、多くの企業が設備投資を行うために多額の資金を必要とした。銀行にとっては絶好のチャンスだが、混乱期でもあり企業の信用性を見極めるのは難しい。そこで仕方なく編み出されたのが「担保となる土地を基準に融資する」という手法だ。
土地は価値がわかりやすく、なくなってしまうことも、品質が劣化することもない。さらに価格が上昇すれば担保価値が高まるため、さらなる貸付を行うことができる。銀行にとってはきわめて都合がいい本位財だった。いっぽう、融資を受ける側の企業にとっても土地の購入にはうま味があった。大きな利益が出た年度に土地を購入すれば課税額を減らせるうえ、次に融資を受ける際の担保にもなる。
このように貸し手と借り手、双方にとって都合のよい面が多かったため、「土地本位制」は長く日本経済の隠れた主軸となってきた。70年前に仕方なく銀行が走らせたオンボロバスの乗り心地が意外にもよかったため、現在に至るまで誰も降りず、走らせた側も止めずにきたわけだ。
ただ快調に走っていたのも今は昔、時を経て「土地本位制バス」の排気ガスには黒煙が混じり、エンジンはノッキングを起こし始めている。中国人投資家という新たな客が乗り込んできたことや、オリンピックという魅力的な行き先が加わったことで乗客の目はくらんでいるが、いずれ故障し急停車することはどうやら見えてきた。
◆先んじて欧米型金融への対応を
ひるがえって他国を見てみよう。そもそも金融先進国である欧米では、土地という基準のみに基づく融資は非常識であり下策とされる。不動産ではなく動産や債権を担保とし、さらには独自の信用調査に基づいて融資を行うのが、欧米の銀行にとっては金融の正しい在りようなのだ。
例えばイタリアのクレディト・エミリオ銀行は顧客企業のつくるパルメジャーノチーズを担保として預かり融資する。その額200億円というから、話題づくりなどではない。信頼できる地元企業と密着した、金融の理想像と言えるだろう。遠からず土地本位制が崩れた時には、日本の金融機関もそんな王道とも言うべき「相手を見てお金を貸す」制度へと移行せざるを得ない。
いや、実はすでにそういった流れは始まっている。新潟を本拠とする北越銀行(本店:新潟県長岡市)では2015年2月、地場産業であるニシキゴイの養殖を振興するため、商品であるニシキゴイを担保に養殖業者に対して「動産担保融資」を行う契約を結んでいる。少しずつだが、古いバスを降りて自分の足で歩く者が出始めているのだ。
そんな自助努力の一つとして、最近ではCRE(Corporate Real Estate 企業不動産の最適化)を勧める声もチラホラ聞こえてくる。しかしながら、土地本位制の崩壊を予測するなら、もっとも必要なのは金融の王道に即して企業の在りようを変えることだろう。すなわち担保となり得る動産の準備や透明性の高い会計である。
政府は住宅エコポイントを再三にわたって導入するなど、住宅市場の活性化による土地価格の安定や経済振興を指向しているが、これに惑わされてはいけない。土地が本位財としての地位を失う時は近々に訪れる。期末を迎え、そのことを前提に経営を見直してみるのもアリだ。
(ライター 谷垣吉彦)