生田 8歳からです。保育士を目指していた母がピアノを弾いている姿を見て、私もピアノを習いたいと言ったのがきっかけでした。当時はバイオリンも習っていたものの、ピアノにのめり込み、大阪芸術大学の演奏学科に進学して大学では専門的な知識を身に付けました。
狩野 ということは、幼少期からずっと音楽の道を歩まれてきたのですね。
生田 はい。卒業後はピアノに関わる仕事がしたいと思い、ヤマハの特約店で8年ほどピアノの指導をしていました。しかし並行してバンド活動もしていたため、手を痛めてしまいまして。それから3年ほどはまったく違った仕事をしていたんです。
狩野 それでも、ピアノの仕事に戻りたいという気持ちが募っていったと。
生田 そうなんです。その間もピアノに触れていましたし、次第に音楽に関わる仕事がしたいと思うようになりました。それで、MIDIという音楽の演奏情報をデータ化する仕事に従事していたんです。当教室の屋号も、そのMIDIが由来なんですよ。現在は佐野市を拠点にしつつ大阪市内の住之江区、住吉区までのエリアでスタジオを借りて出張指導も行っています。
生田 上手に弾くことよりも、楽しく弾くことをコンセプトにしています。ピアノの技術が上達すれば弾いていて楽しくなりますが、そこに留まらずもっと音楽そのものの楽しさを肌で感じてほしいと思っているんですよ。ですので、ピアノ教室ではあるものの、ピアノに限定せず、音楽の楽しさが伝わる指導を心がけています。
狩野 野球も一緒で、楽しくないと続けられませんからね。私は中学生までピアノを習っていて、発表会に向けて演奏する曲を自分で選んだり、好きな曲を練習したりする時間がとても楽しかったという思い出がありますよ。