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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

未来を生き抜く力を
一歩一歩育む進学塾

 

心から愛した思い出の塾の看板を消さない

 
宮地 プラス進研さんの成り立ちについて、もう少し詳しく教えてもらえますか?
 
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水野 もともと、中学時代に進研という塾に通っていたんです。プラス進研の母体のような塾で、1970年代に松戸市で開校した塾でした。私は当時、大人によく反抗する異端児に近い生徒だったんです。そんな私にも塾の先生方はあたたかく接してくれました。学校の先生に心を開けなかった私が、塾の先生のことは信頼していたんです。その塾の室長先生が、大学生になった私に講師として働くことを勧めてくれました。
 
宮地 そこから、塾業界への道を歩みはじめたのですね。
 
水野 そうです。結局、母体であった進研はなくなってしまったものの、塾で育った生徒や講師の思い入れが強く、「なんとか進研の名を残したい」と、流れを汲む塾が立ち上がりました。当校もそのうちの一校です。
 
宮地 生徒の方たちにとても愛された塾だったんですね! 水野代表にとって、母体の進研のどのような部分に心を動かされたのでしょうか?
 
水野 いろいろあります。その中でも、本気で叱られたことが忘れられません。一番心に響いたのは、中学3年生のとき、女性の先生に激しく叱られたことです。大手塾の進出で苦戦していた進研を侮るような発言をした私に対し、その先生は、天地がひっくり返るほどの勢いで叱ったのです。そのときの先生の真剣な表情を見て、「この人は塾という仕事に誇りを持っているんだ。生徒たちを愛しているんだ」と感じました。
 
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宮地 それだけ激しく叱られたら、驚いたことでしょう。でも、その先生の思いが伝わり、尊敬されたでしょうね。
 
水野 はい。その先生とは今も連絡を取っています。一度思い入れを抱いた人や場所にはとことんついていく私の性格もあり、そのまま講師の道に進み、気が付けば塾講師一筋で17年です。塾長として、講師として、生徒の成長を見るのはとても嬉しいです。それと同時に、自分が愛した進研の看板を残している満足感も得ています。
 
宮地 素敵だなぁ。仕事に心からやりがいを感じておられるのですね。