未来の子どもたちが日本から
宇宙に飛び立てる下地をつくる
2010年に、スペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗し宇宙へ飛び立った山崎直子さん。15日間の滞在期間の中で、物資移送責任者として国際宇宙ステーションでロボットアームの操作を行うなどさまざまな仕事に従事した。「宇宙の生活は楽しかった」と笑いながら語る山崎さんに、なかなか想像できない宇宙飛行士の仕事や、その中で感じた悩みなどについてお聞きした。
人が宇宙に行けることを知った
幼い頃は、「将来は学校の先生になりたい」と思っていました。その頃から星を見るのが好きでしたし、宇宙に興味を持っていたものの、宇宙飛行士という職業があることをわかっていなかったんです。当時は日本人で宇宙に行った方がまだいなかったので、日本において宇宙飛行士の知名度が低かったのだと思います。
中学3年生のときに、チャレンジャー号の爆発事故が起こり、私はそれをテレビのニュースで知りました。打ち上げの際にスペースシャトルが空中分解してしまい、宇宙飛行士7名全員が亡くなってしまった事故です。とても痛ましい事故でしたが、私はそのニュースを見て初めて、人が宇宙に行くことが現実的なことだと知ったんですよ。
チャレンジャー号には、高校教師であるクリスタ・マリーコフさんが搭乗していました。宇宙から授業を行う予定だったそうです。私はもともと教師を目指していましたので、宇宙飛行士と教師が両立できると知ったことも、宇宙飛行士を目指すようになった大きな要因でしたね。自分の中で興味を持っていた“教師”と“宇宙”がつながった瞬間でした。
それで、就職はNASDA――現在のJAXAを選びました。地上から約400km上空に建設された巨大な有人実験施設である国際宇宙ステーション、通称ISSのプロジェクトチームにエンジニアとして所属していました。アメリカ、ロシア、日本、カナダなどさまざまな国が協力して運営しているISSが完成したのは、2011年。私が入社した当時はまだ開発段階で、日本が担当している「きぼう」というモジュールの開発を行っていたんです。