第二の人生として治療家の道を選択する
田畑 私は鋳造業を営む家に生まれました。父が創業した事業を自分が2代目として後を継ぐのだろうと、工業高校卒業後に自然な流れで家業に入ったんです。それから20年ほど鋳造工の仕事をしていたものの、人材不足により家業を閉めることになりました。
小倉 お若いときから家業に専念されていたのに、突然その道が途絶えてしまったと。それは青天の霹靂ですね。
田畑 ええ。私も当時40歳くらいでしたから、これからの人生何をしようかと考えましたね(笑)。その頃、父が脊柱管狭窄症と診断されていろんな病院に行くことになりまして。いろんな治療法を探しているうちに、礒谷式力学療法という治療法に出合ったんです。股関節を矯正することで体全体のバランスを整え、自然治癒力を高めるこの治療法は、理にかなっていると感銘を受けました。
小倉 なるほど。礒谷式力学療法との出合いから、田畑院長は治療家の道を目指されたわけですね。
田畑 そうなんです。そして自分でも礒谷式力学療法のノウハウを習得したいと思い、東京にいる先生のもとで修業を積みました。また、礒谷式力学療法を一層効果的にするために、あん摩マッサージ指圧師、鍼灸師の資格も取得して当院を立ち上げたんです。