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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

クリエイティブな発想の
金物販売&建築工事会社

 

50年以上もの歴史を持つ老舗の金物店

 
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狩野 事前にお聞きしたところでは、都やさんは創業から50年以上もの歴史をお持ちだとか。
 
羽賀 はい。弊社は先代である私の父が、1968年に羽賀建築金物商会として創業しました。創業当時は輸送用の車もなく、商品を運ぶためにリヤカーを引いて長い距離を移動していたと聞いています。その後、1980年に有限会社羽賀金物として法人化しました。当初は金物の小売販売だけを行っていたものの、自社でも建築施工を行うようになっていきまして。そして、私が二代目の代表取締役として就任したのち、2015年に株式会社都やとして組織変更し、現在に至ります。
 
狩野 車もない時代から親子二代にわたって一歩一歩、着実に会社を成長させてこられたわけですね。羽賀社長は早くから家業を継ぐつもりだったんですか?
 
羽賀 いえ、実を言いますと、私はもともと飲食店を経営したかったんですよ。学生時代から飲食店でアルバイトをしていまして、従業員用のまかない料理づくりも担当していました。そこでは、私なりにレシピに工夫してアレンジ料理をつくるのが大好きだったんです。そこからさまざまなアイデアを形にするためのものづくりにも興味が湧いていきまして。高校卒業後は専門学校に進み、当時注目され始めていたコンピューターのプログラミングを学びました。
 
狩野 なるほど。料理のアレンジレシピを考案したり、アイデアを形にしたりと、クリエイティブな思考でいらしたんですね。その後の歩みも教えてください。
 
glay-s1top.jpg さまざまなシーンで活用できる手すりを施工!
さまざまなシーンで活用できる手すりを施工!
羽賀 専門学校を卒業後は、機械部品や端子などを製作する会社に就職しました。正社員は現場の管理や運営にしか携われなかったので、上司にかけあって工場で部品製造の仕事をさせていただいたこともありましたね。それから、3~4年ほど勤務したのち、1990年に父が経営していた弊社に入りまして。そして、先輩の職人と共に施工現場で働きながら、建築工事の技術も学んできました。
 
狩野 自ら志願して製造現場での仕事にも携わるとは、素晴らしいチャレンジ精神だと思いますよ。
 
羽賀 ありがとうございます。やはり、自分自身が考えたアイデアを形にするのが好きだったので、何事もまずはやってみようという気持ちが強かったですね。それに実際の現場で働くスタッフと共に同じ作業したことで、どのようにすれば人の気持ちを感じ取り、人を動かすことができるのかを学べました。それは、経営者としても非常に大きな経験となりましたね。