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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

幸せをあきらめない 障がい者の自立を支援
一般社団法人lykke 代表理事 大竹眞澄

 
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インタビュアー 嶋大輔(タレント)
 東京都八王子市で相談支援事業や就労移行・B型支援事業と共同生活援助――いわゆるグループホーム事業といった福祉事業を手がける一般社団法人lykke(リュッケ)さん。大竹代表はもともと福祉の仕事を志望しておられたんですか?
 
大竹 いえ、実を言いますと学生時代には牧場を経営してみたいという夢がありまして、畜産業や農業を学んでいたんです。それで、大学生の頃に北欧のデンマークに留学し、当時の日本にはなかった制度や取り組みを多く目の当たりにしました。日本に帰国後、その当時はまだ珍しかった福祉事業を手がける知人に仕事を手伝ってほしいと頼まれ、私もデンマークでの経験がいきるならと了承したんです。
 
 当初はまったく異なる道を目指しながらも、社会福祉制度が非常に充実しているといわれるデンマークでの経験を活かして、福祉の世界へと入っていったんですね。
 
大竹 そうなんです。その際に私が職員として入ったのが、現在の福祉制度では宿泊型自立訓練施設と呼ばれるもので、当時は通勤寮と呼ばれていた施設でした。入所期間が3年間の全寮制の施設で、利用者様が3年の間で仕事を見つけ、自立した生活が送れるように支援するというスタイルです。まだまだ日本では就労支援という言葉もなく、知的障がい者の方が働くためのサポートを行う仕組みすら成立していない時代でした。それから、さまざまな施設で経験を積み、やがて生活寮と呼ばれる、今でいうグループホームの立ち上げに携わることになったんです。
 
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 日本の福祉業界のまさに黎明期からお仕事なさって、施設の立ち上げにも携わることになったんですね。
 
大竹 ええ。特に私は、施設のスタッフも利用者様もみんなが分け隔てなく、同じ場所で一緒にご飯を食べるという当たり前の光景を実現したいと考えていました。そして、生活寮を立ち上げる際には、それまでになかった障害を持つ女性が入所する女子寮も設立したんですよ。というのも、その当時は現在と比べて一般的にも働く女性が少なく、女性の社会進出もあまり例がない時代でした。女性の障がい者ともなれば、働いて自立した生活などできないだろうという考え方が一般的だったわけです。