いつか社長になるために生まれてきた
山﨑 私の最初の就職先は、製鉄会社でした。営業志望だったのですが、「まず鉄のつくり方を覚えろ」と現場に配属されました。仕事は楽しかったものの、「営業をやりたい自分がなぜ製鉄を」という疑問が拭えず、4年で退社したんです。次の仕事も決まっていない頃に現在の妻と知り合い、「遊んでいるくらいなら、うちの実家で働けば」と誘われ、弊社に入りました。
時東 織笠さんは、もともと奥様のご実家だったんですね。その後の歩みは順調だったのでしょうか。
山﨑 それが実は、リーマン・ショックの影響で売り上げが落ち、先代の社長が「会社を解散する」と言い出したんですよ。しかし、当時すでに営業も現場もお金の管理も任されていた中で、私は「解散しなくても経営を続けられる」と考えました。そこで権利や許可、借金など会社の資産を買い取り、39歳で代表に就任したんです。その後、2010年に有限会社から株式会社へ改め、2018年現在は8人のスタッフと共に頑張っています。
時東 業績を見事に回復させたのですね。ちなみに、もともと独立願望はあったのですか?
山﨑 そうですね。実家が牛乳の販売店を営んでおり、子どもの頃から「自分はいつか社長になるために生まれてきた」と思っていました。製鉄会社を辞めるときも「このまま組織の歯車でいるのは嫌だ。自分はエンジンになりたい」と言って呆れられたほどです(笑)。親戚も店を経営する人が多いため、弊社に入ってからも周りから「早く独立しろ」と言われていましたね。ちなみに、牛乳販売店は弟が後を継ぎました。