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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 大阪府出身。自動車メーカーの設計・開発に従事するも、30歳の時に肝臓がんが見つかり入院する。生体肝移植手術や苛酷なリハビリ生活を経て退院。その後は、再就職のために専門学校でWebサイト制作の勉強に励み、大阪府立健康科学センターに非常勤職員として就職して広報業務を担当した。2008年には(株)アイムスタイルを立ち上げ、医療系のWebサイト制作を多く手がけてきた。2017年4月から就労移行支援事業もスタート。【ホームページ
 
 
 
障がいを負った自分だからこそ提供できる就労支援を――。株式会社アイムスタイルの原田芳洋代表取締役は、かつて肝臓がんを患い、手術を経て生還するも、術後は1級障がい者となったために就職に苦しんだ過去がある。その後は医療系のWebサイト制作を多く手がけるも、心中には常に障がい者への思いがあった。そして2017年4月、ついに就労移行支援事業所を設立した原田社長に、過去の体験や支援への思いについて聞いた。
 
 
 

障がい者認定による就職困難を経験

 
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インタビュアー 畑山隆則(元ボクシング世界王者)
畑山 アイムスタイルさんでは、Webサイト制作、グラフィックデザイン、システム設計・構築を手がけていらっしゃるとか。原田社長はもともと、どういった歩みをたどってこられたのでしょうか。
 
原田 以前は自動車メーカーで設計・開発をしていたのですが、30歳の時に病院で肝臓がんと肝硬変が見つかってしまって・・・。即手術してがんは摘出できたんですが、肝硬変は治りませんでした。
 
畑山 それは大変だ・・・その後はどうされたんですか?
 
原田 生体肝移植手術によって一命は取り留めたものの、そこからが地獄でした。全身の痛みに耐えながら1年半のリハビリを続けて、どうにか退院できても、今度は仕事がない。私は手術後、1級の障がい者となっており、障がい者への理解が少ない当時では就職ができなかったんです。そこで仕事を得るためにWebサイト制作の専門学校に入学しました。でもやはり、卒業しても仕事に就くことはなかなかできませんでした。
 
畑山 リハビリの辛さだけでなく、再就職できない苦しみもあったでしょう。
 
原田 そうですね。でも、困った末に市役所の就職支援の窓口に相談したところ、大阪府立健康科学センターのドクターの助手として雇ってもらうことができました。そこで働くうちにWebサイト制作の技術を買われて、広報部に転属したんです。それからは、そこで働く先生方から個人契約の仕事をいただきつつ収入を安定させていき、2007年に独立しました。