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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

画期的な後づけ工法で
アルミ製手すりを施工

 

倒産後の残務整理から起業し事業を拡大!

 
濱中 まさに劇的な結末でしたね。でも、準優勝は見事な結果だと思います!
 
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吹野 ありがとうございます。この試合は、山陰地方の高校が甲子園の優勝に最も近づいた瞬間なんですよ。あれから60年たった今でもテレビやラジオで特集が組まれ、出演してほしいと私に声がかかることもあります。
 
濱中 高校野球の頂点を目指して汗を流した日々は、吹野社長にとってかけがえのない経験になっているのでしょうね。プロを目指すお気持ちはなかったのでしょうか。
 
吹野 それはありませんでした。というのも私はもともとピッチャーだったのですが、投げすぎでヒジを壊し内野手に転向していたんですよ。当時はスポーツ医学が発達しておらず、曲がったヒジも「鉄棒にぶら下がって治せ」と言われたような時代です(笑)。私は甲子園で準優勝するまで頑張った自分自身への誇りを胸に、高校卒業後は就職の道を選びました。
 
濱中 野球はやり切ったと感じられたのですね。では、吹野社長の社会人としての道のりをお聞かせください。
 
吹野 私が就職したのは旧三和銀行でした。ただ、入行後にあらためて長い人生を見据え大学に行くことを考えるようになりまして。進学の決意を固め、1年半後に退職し、3ヶ月だけ受験勉強をして立命館大学に入学しました。
 
濱中 わずか3ヶ月の勉強で立命館に合格するとは、やはり、吹野社長の集中力と行動力は見事なものがありますね。その後の歩みも気になります。ぜひ教えてください。
 
吹野 大学卒業後は、アルミ製品のエクステリアを販売する会社に就職しました。ところが、この会社の業績が徐々に悪化しやがて倒産しまして。社員だった私は債権者から残務整理を命じられ、たった一人で在庫を売りさばくため全国を歩き回ることになったんです。
 
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濱中 かなり過酷な業務ですね。でも、その日々が吹野社長をさらに成長させたのでは?
 
吹野 おっしゃる通りです。私は、このときの経験をもとに一念発起し、住んでいた団地の一室で弊社を創業しました。当時は戸建住宅が次から次へと建つ時代で、1日100軒を目標に訪問販売を続けてきたんです。もちろん口で言うほど簡単ではありませんでした。100軒のお宅を回っても顔を出してくださるのが10軒、そのうち真剣に話を聞いてくださるのは1軒か2軒という程度ですからね。
 
 
 
 

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