出張販売も手がける大阪市平野区のメガネ店

インタビュアー 八木裕(野球解説者)
中尾 私は、この店の斜め前にあった自宅で1972年に生まれました。もともと当店は曽祖父が開いた瀬戸物店がルーツです。その後、このあたりはガラスレンズづくりが盛んだったことから、曽祖父がガラス工房を立ち上げてルーペのガラスを生産するようになり、祖父がメガネのレンズを生産するようになりまして。父が業態をメガネ店に変えたのが1969年。長男の私が経営を継いだのは2015年なんですよ。
八木 メガネ店としてすでに2代、半世紀を超える歴史をお持ちとは素晴らしいですね。中尾代表ご自身は、もともと家業を継ぐお考えだったのでしょうか。
中尾 実を言うと、若い頃は店を継ぐ気がなかったんですよ。ただ人と話すことは大好きだったので、いろいろな業界の仕事を経験してきました。そして、茶わん蒸しや卵豆腐のメーカーで営業をしていた22歳のときに、得意先だった豆腐店の主人から「実家が店なら手伝うべきだ」と強く勧められたんです。
八木 そのご主人は、中尾代表が客商売に向いていると見抜いたのでしょうね。
中尾 まあ、もともと接客を苦にしない商人気質だったのでしょう(笑)。そこで私は、神戸の元町にあった高級メガネ店で修業を積み、26歳で当店に勤めました。代表に就任するまでは、父がメガネ、私が補聴器と役割を分担しながら営業してきたんです。