建築物を支える基礎に使われる建築金物。20年にわたって、この重要な部品をつくり続けるのが大阪府羽曳野市のマルケイ産業だ。代表の工藤仁氏は、26歳のときにたった一人で同社を創業。工場の移転とともに取引先を増やし、現在は3名のスタッフと現場で汗を流している。絶対にミスの許されない建築金物の製造は、何よりも手作業の感覚がものをいう。その厳しさと楽しさを存分に語っていただいた。
実家の倒産を乗り越え建築金物を手がける

インタビュアー 濱中治(野球解説者)
工藤 そもそもは、両親が建築金物の製造会社を経営していたんですよ。私も高校を卒業すると実家で働くことになりました。そうして社会経験を積み、23歳のときに、内装業というまったく異なる分野で会社を立ち上げることにしたんです。事業は順調だったものの、やがて両親から「戻って来ないか」と誘われるようになりました。ただ、私は自身で経営したいという思いがあったため、26歳のときにマルケイ産業を創業し、主に両親の会社の下請けとして建築金物の製造をスタートさせたんです。
濱中 23歳で事業を立ち上げるとは、経営者としてもベテランですね。マルケイ産業さんを創業した頃は、どのような状況だったのでしょう。
工藤 たった一人での独立でしたから、製造、営業、経営のすべてを担っており、本当に大変でした。しかも、私が29歳のときに両親の会社が倒産してしまったんですよ。実家は差し押さえられましたし、もちろん、下請けだったマルケイ産業も売り上げを回収できませんでした。これには本当に参りましたね。なんとか乗り越えてきたというのが実情です。
濱中 でも、ご実家で一緒に働いていたら共倒れになるところでした。独立していたから事業を続けることができたのでしょうし、工藤代表の選択は結果的に正しかったと言えるのでしょうね。では、その後の展開も教えていただけますか。
工藤 弊社は2014年に現在地へ移転し工場を拡大しました。ホームページを開設したところ、それを見てくださったお客様からご注文が相次ぐようになったんです。ずっと一人で仕事をしていたのを、これを機会にスタッフを雇用することに決め、現在は3人の仲間と共に汗を流しているところです。建築金物の製造は手作業が多く職人の育成は難しいと言われています。スタッフたちに少しずつ仕事を教え、今はようやくものになり始めたところですね。