B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

顧客と二人三脚で タンク・架台の製造
吹上製缶株式会社 代表取締役 竹﨑顕

 
プロフィール 兵庫県出身。学生時代はサッカーに熱中。高校卒業後は、留学の資金を貯めるために飲食店でアルバイトを始める。やりがいを感じ、そのまま正社員として働き出すも、勤務先の飲食店が営業を停止。吹上製缶(株)を経営する父親に声をかけられ、同社に入社した。両親が急逝したことをきっかけに事業を承継。人材育成にも力を入れている。【ホームページ
 
 
 
燃料タンクをつくり続けて半世紀以上。熟練の技で日本の産業を支えるのが兵庫県尼崎市の吹上製缶株式会社だ。代表取締役の竹﨑顕氏は、レストランの接客を経て、父が起こした同社の事業を手伝うように。やがて、両親の急逝で自ら舵取りをするようになった。不慣れな経営を支えてくれたスタッフや、メインクライアントであるヤンマー株式会社へのあふれ出る感謝の気持ち。それこそ竹﨑社長が事業に挑む原動力だ。
 
 
 

レストランの接客から製缶会社の手伝いに

 
glay-s1top.jpg
インタビュアー 濱中治(野球解説者)
濱中 兵庫県尼崎市で、長年にわたり金属製品の製造を続ける吹上製缶株式会社さんにお邪魔しています。製缶がどのようなお仕事なのかは後ほどじっくりお尋ねするとして、まずは、2代目となった竹﨑社長の歩みを教えていただけますか。
 
竹﨑 弊社を創業したのは先代の父でした。私自身は小学校から高校までサッカーに熱中していまして。高校卒業後は、留学の資金を貯めるため兵庫県神戸市の飲食店でアルバイトをスタートしたところ、たまらなくおもしろくなったんです。結局、正社員として勤務することになりました。何店か接客経験の後、最終的には神戸復興への思いで、みなと神戸のクルーズ船で、フランス料理をご提供するレストランの接客をやっていたんですよ。
 
濱中 現在のお仕事とは、まったく異なる社会人のスタートで驚きました。ぜひ、続きをお聞かせください。
 
竹﨑 常連のお客様に顔を覚えていただいたり、阪神・淡路大震災後に炊き出しに参加して喜んでいただいたりするなど、充実していましたね。当時は、弊社の経営を継ぐ気はありませんでした。父も「苦労の多い仕事なので継がなくていい」と言っていたんですよ。ところが2008年に、勤務先のレストランが事業を停止してしまいました。そして、人手不足に悩んでいた父から「手が空いているなら、納期管理やデータ分析を手伝ってくれ」と誘われたんです。
 
濱中 その言葉が、家業に足を踏み入れるきっかけだったんですね。
 
竹﨑 結果的にそうなりますね。私はレストランの接客担当として、一歩引いたところから全体を観察したり、適材適所で人を動かしたりする能力には自信を持っていました。ですので、ゆくゆくはこの経験も活かせる場面もあるだろうとの思いで、引き受けまして。ただ、弊社の仕事はあくまでも一時的なヘルプのつもりだったんです。ところが今度は2013年に、経理を担当していた母が、その半年後には代表である父が相次いで亡くなってしまいました。