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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

日本での就労を全面支援外国籍労働者向け派遣業
株式会社PPK 代表取締役 島田龍男

 
プロフィール 京都府出身。建築設計の技師になることを志して工業高校で建築を学ぶ。卒業後は滋賀県の建設会社に就職し現場監督として活躍。人望を買われて大工職人の人材派遣業を勧められ、1980年代に独立。その後、外国籍労働者に特化した人材派遣会社(株)PPKを神奈川県川崎市に設立した。車両部品の梱包・検品作業への人材派遣のほか、陸送業も営んでいる。【ホームページ
 
 
 
少子高齢化であらゆる産業が人材不足に悩む中、1990年代から日系ブラジル人労働者の派遣業をいち早く手がけてきた株式会社PPK(ピーピーケー)。現在も中国、ネパール、スリランカ、ベトナムなどアジア各国から仕事を求めて来日する人に部品梱包作業などの職場を紹介している。慣れない異国で懸命に働く外国人たちを温かく見守る島田龍男代表取締役に、これまでの歩み、今後の夢である職業訓練校設立の意義などについて語ってもらった。
 
 
 

建設業から派遣業へ転進

 
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インタビュアー 吉井怜(女優)
吉井 PPKさんは日本で暮らす外国籍労働者向けに人材派遣業をされているとうかがいました。島田社長はどんなきっかけで今のビジネスを始められたんですか?
 
島田 もともと私は、形に残るものをつくるのがカッコいいと思って高校は建築科に進み、卒業したら設計をやりたいと思っていました。ところが、卒業後に滋賀県の建設会社に入って任された仕事が現場監督だったんです。それで、働きながら学校に通って設計の勉強を続けるつもりでしたが、そんな時間的余裕はなかったですね。職人さんたちと現場に泊まり込みで働いていたから、仕事の後は毎晩酒盛りだったので(笑)。
 
吉井 最初は建設現場で経験を積んでいたんですね。
 
島田 そうです。10年くらい働いた頃、仕事のつながりで知り合った人に「大工の派遣業をしないか」と勧められたんです。「ぜひ一緒に」というので、今とは別の会社をつくったのが今に至る転機になる出来事でした。
 
吉井 派遣業を始めるに当たって、最初から外国人の方を対象にするお考えだったのでしょうか。
 
島田 いえ、初めは単に大工さんを募って人手の足りない現場に応援で行ってもらうという内容でした。ところが肝心の大工さんがなかなか集まらず、途中からは“手元”と呼ばれる大工職人の補助をする人たちの派遣に切り替えて、大阪から人を集めていました。一時期は100人ほど人材を抱えていましたが、1995年の阪神淡路大震災を境に、いよいよ人が集まらなくなってしまいましてね。それで、出稼ぎで来日する日系ブラジル人たちに注目するようになったんです。
 
 
 
 

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