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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

塗装工事や耐震工事で
街や暮らしを守る誇り

 

アメリカも日本も、それぞれに素晴らしい

 
長澤 進路を模索するための留学だったということは、日本を発つ時は建築の道に進むことは考えていなかったんですか?
 
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高橋 そうなんです。でも、私が住んでいたサンフランシスコはアーティスティックな趣のある街で、ビクトリア調の家やモダン建築などが多く建っていたんです。そうした環境で過ごしているうちに、刺激を受けて 「建築を学びたい」 と思うようになったので、学校に進むことを決めました。
 
長澤 日本ではなく外国の学校に通うわけですから、言葉の壁以外にも、悩まされることが多そう。
 
高橋 確かに、日本とアメリカでは教育の仕方そのものが違うと感じましたね。日本では教育要綱などに従って、あらかじめ決められた内容を指導者が生徒へ伝えていきます。いっぽうアメリカでは生徒が主体的に学ぶような仕組みになっているんですよ。たとえば、建築模型をつくる課題が出たとして 「それをどうつくるべきか」 を教授に相談したならば、こう返されます。「それを考えるのが君の勉強だろう?」 と。
 
長澤 わぁっ、聞いただけでもアメリカっぽい!(笑)
 
高橋 それで、どのようなものをつくったにしろ、教授はそれが 「間違いだ」 などと酷評することはないんです。「君の感性は素晴らしい。でも、こうすればもっと良くなる」 とか、「こんな方法もある」 とか、生徒が新たな方向性を見出せるようなアドバイスをくれるんですよ。
 
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長澤 なるほど! 最初にオーソドックスなつくり方を教え、それに創意工夫を付加する日本とは逆なんですね。
 
高橋 ええ。それにアメリカでは生徒どうしで徹底的に議論をする土壌がありまして、ディベート形式の授業も一般的です。だから、日本のように意見を述べるのを遠慮したり、建前と本音が異なったりすることがありません。かといって他人の意見をないがしろにすることもない。
 
長澤 主張する時は大いに主張し、折れるべき時は折れる。日常的に言葉を戦わせるのが当たり前だからこそ、できることなんだろうな。
 
高橋 おっしゃる通りだと思います。アメリカには様々な人種の方が暮らしていますし、学校に通う生徒も様々な言葉や文化を持つ人間が集まってくるので、それぞれに独自の意見が出るのが普通なんですよ。
 
長澤 そうなのか~。確かに、それぞれの価値観が異なるのが当たり前、というふうに前提を置き換えると、「フィーリングが合う、合わない」 は自分自身の問題なんだってことがわかりますね。
 
高橋 はい。ただそのぶん、日本には協調性や団結力を重んじる風土があります。そういった部分は外国人にはない、日本人の素晴らしい特性だと思います。だから、私は海外で暮らしたことによって、日本のことをさらに好きになれたように思うんですよ。