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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

有言実行の信頼と社長力 エンジニアと共に成長
LIJ株式会社 代表取締役 野原賢太郎

 
プロフィール 北海道出身。高校卒業後、プロボクサーを目指すも、怪我により断念。札幌でバーテンダーとして活躍し、3店舗のマネージャーまで昇り詰める。その後、外資系保険会社の営業マンになり30歳で独立するも経営破綻し、借金返済後、35歳でIT業界へ。営業トップを経て部長職に就き、理念・信念実行のため、2020年7月LIJ(株)を設立した。エンジニアのアウトソーシングを営む。【ホームページ
 
 
 
「お金が欲しくて経営者になったわけではない」。LIJ(エルアイジェイ)株式会社代表取締役の野原賢太郎氏は、そう熱く語ってくれた。一度目の起業で失敗し、違法借金の取り立てから夜逃げまで経験した類まれな人生経験の持ち主だ。野原社長が自身の存在意義を確かめるには、代替のきく会社の歯車ではなく、会社経営の道しかなかった。一発逆転の成功者となるも驕る心は微塵もなく、自らの理想と信念を追いかけ、有言実行で周囲を魅了している。
 
 
 

プロボクサーを目指し上京、その後の波乱

 
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インタビュアー 吉井怜(女優)
吉井 新宿区にオフィスを構えるLIJ株式会社さん。事業内容は、システムエンジニアのアウトソーシング業とうかがっています。まずは、野原社長のこれまでの歩みから教えてください。
 
野原 地元北海道の高校を卒業後、プロボクサーを目指して上京し、ワタナベジムに入りました。通っていた高校は進学校だったので、異端の進路だったと思います。しかし、アキレス腱を断裂してプロを諦めることになりまして。札幌に戻り、バーテンダーとして働き始めました。27歳でマネージャーに昇格し、3店舗を担うようになったんですよ。その後は外資系の保険会社に就職し、営業マンとして経験を積みました。そうして、30歳で独立したんです。
 
吉井 波乱万丈な経歴で興味が湧いてきました。最初の起業は、保険業だったのですね。
 
野原 ええ。商品の説明を聞いていただく代わりにお子さんを預かるという、託児所システムを併設した保険業でした。
 
吉井 ママさんたちに好評だったのではないでしょうか。ではいよいよ、IT業界へ転職される経緯についてうかがいましょう。