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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

1/1000mm精度の測定技術で
製品の品質と人々の生活を守る

 

あきらめず努力すれば結果はついてくる

 
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川村 昼間も目一杯働いておられたでしょうに、大変でしたね。学校はどこにあったんですか?
 
川添 恵比寿です。勤め先は三鷹にあって、今ほど電車の便も良くないから、恵比寿は遠くてね(笑)。そのうちに、時間的にも交通費的にも会社勤めとの両立が難しくなり、会社を退職して学校の近くに引っ越しまして、それからは運送業などのアルバイトをして、生活費や学費を稼ぎました。
 
川村 よく頑張り通されましたね。卒業できたときは嬉しかったでしょう。それで、晴れて技術者になって、どんなところに就職されたんですか?
 
川添 三鷹の会社に勤めていた頃の上司が独立して始めていた会社です。「うちに来ないか」 と声をかけてくださったんですよ。2年足らずで退職した自分を覚えていてくれたこともそうだし、一人前の技術者と評価されたことが本当に嬉しくて、「ぜひお願いします」 と言って入社しました。
 
川村 その方はきっと、川添社長のお人柄と実力を見込んでおられたんですよ。
 
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川添 ありがたい話です。入社後はいろいろな精密測定機器を設計しました。たとえば1970年頃に作った測定器は、東京都から優良工業製品として表彰されました。また、微分積分程度の計算ができるアナログ式のコンピュータも開発しましたが、あれは苦労したなあ。
 
川村 差し支えなければ、どのようなご苦労があったか、教えてください。
 
川添 アナコンに限らず、当時はアナログ全盛の時代で、精度の良い部品が全く揃わなかったんですよ。設計上ではうまくいくはずなのに、部品が良くないから精度が出ない。何日も何日も調整してやっと納入していました。時間ばかりかかって効率が悪かったですね。
 
川村 理論的にはうまくいくはずなのに、他の原因でそうならないって、フラストレーションがたまりますね。
 
川添 いや、それはありませんでした。徹夜も日常茶飯事だったし、1ヶ月で250時間の残業もざらだったけど、ストレスは全く感じなかった。きっと、この仕事が心底好きだからでしょう。
 
川村 好きだからこそ継続できるし、苦労もいとわず努力できるんですね。
 
川添 本当にそう思います。最近の若い人はすぐに 「無理」ってあきらめてしまうけど、あきらめたらそこで終わりです。もう一頑張りしないと。
 
川村 私も芽が出ない時代はありましたが、芸能界の仕事が好きだから頑張れました。つらい時期を越えると、不思議と道が拓けてくるんですよね。
 
川添 そうそう。信頼を勝ち取るというのかな。良いものを作れば、おのずとお客様のご評価もいただけます。すぐには次の仕事につながらなくても、「川添に任せていたら安心だ」 という声が励みになるし、やがて結果も付いてくるんです。