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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
JAXAが行う宇宙飛行士の募集は不定期。2019年現在、すでに10年以上JAXAから募集は行われておらず、度々あるとは言いがたい。そんな中、宇宙飛行士を夢見ていた当時の山崎さんは、どのような気持ちを持ってJAXAで働いていたのだろうか。
 
 

宇宙飛行士を支える側の気持ちを知った

 
就業中に宇宙飛行士になることを意識したことは、実はあまりありませんでした。いつか募集があるといいなとは思っていましたが、純粋に自分の仕事を楽しんでいましたね。目の前の仕事に熱中していたんです。当時の経験は、実際に宇宙飛行士となった後も大きな糧となりましたよ。
 
私が宇宙に行った際に滞在したのは、まさに自分が開発に携わっていたISSです。さまざまな工場やメーカーの方々と一緒に仕事ができたのは、何物にも代えがたい経験でした。みなさんと協力しながら開発の仕事に携わったことで、宇宙飛行士を支える側の気持ちを知ることができましたから。
 
1999年、NASDAに入社して3年が経ったときに宇宙飛行士の募集がありました。応募要項の書類はすぐに取り寄せましたね。でも、あれを書くのは結構大変なんですよ。志望動機やそれまでの経歴はもちろん、家族からの応援メッセージも書かなければいけないんです。実家まで帰って書類に応援メッセージを記載してもらって・・・といろいろ時間がかかってしまい、結局提出できたのは締め切りギリギリでした。
 
宇宙飛行士の選抜試験で特に印象に残っているのは、三次試験です。国際宇宙ステーションを模擬したような閉鎖空間で、三次試験まで残っていた8人の候補者と一週間を共に過ごしたんです。監視カメラですべて見られている状態の中、指示されるさまざまな課題に一緒に取り組みました。宇宙飛行士候補者の席を競うライバルではありましたが、良き仲間だと感じましたよ。
 
8人の候補者の中、誰が宇宙飛行士候補者に選ばれてもおかしくないと思っていました。ですから、JAXAから電話がかかってきて自分が選ばれたと伝えられたときは、喜びよりも驚きを先に感じましたね。また、その電話をかけてくださったのは、宇宙飛行士の大先輩の毛利衛さんだったんですよ。

 
華やかなイメージのある宇宙飛行士だが、インタビューの中で山崎さんは「悩むことも多々あった」と話してくれた。
 
 

訓練が楽しいからこそ続けられた

 
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JAXAの選抜試験に受かったからといって、すぐに宇宙飛行士と認められるわけではありません。宇宙飛行士の候補者として訓練を積んだ後に、正式に宇宙飛行士に認定されます。私の場合は、2年間訓練を続けました。訓練と言っても、日本で座学を受けることもありますし、ロシアでサバイバル訓練を行うなどさまざまなものがありましたね。
 
正式に宇宙飛行士として認定されてからは、訓練よりも実際に宇宙に行く先輩方のサポート業務が多くなります。そうして4年、5年と仕事を続けていると、「このまま宇宙飛行士としての道を歩んでいいのか」と迷うこともありました。宇宙飛行士だからといって、必ず宇宙に行ける保障もありませんからね。
 
それに、私は宇宙飛行士と認定されてすぐの頃に長女を出産していました。スペースシャトルの事故もゼロではありませんでしたし、万が一のときに残される子どものことを考えると、「宇宙に行きたいという思いは自己満足なのかもしれない」と思うこともありました。
 
それでも仕事を続けられたのは、訓練や業務が楽しかったからです。いつか宇宙にいけたら嬉しいし、行けなくとも訓練で得た経験は後の人生で必ず生かされると考えるようにしました。だからこそ、実際に宇宙に行けると決まったときは感無量でしたね。私が宇宙飛行士候補者となってから11年が経っていました。家族やNASAのインストラクターなど、その期間ずっと支えてくれた方々のおかげです。
 
宇宙には15日間滞在しました。本当に楽しい時間でしたね。実際に行くまでは、無重力の空間をとても特別なものだと思っていたんです。でも、実際に行ってみると案外慣れるもの。すぐに、プカプカ浮きながら寝るのが普通だと感じるようになりました(笑)。逆に地球に戻ってきてからのほうが大変でしたね。自分の頭はまるで漬物石のように重いですし、ボールペン1本、紙1枚を持ち上げるのすら重いと感じました。