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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
現役では9年間にわたり、スター選手として活躍してきた赤星さんだが、2009年には中心性脊髄損傷により、野球を続ければ生命の危険もあったことから、引退という苦渋の決断をした。そこから野球解説者として現在に至るまでの心境の変化や、これからの活動について、赤裸々に話してくれた。
 
 

引退の葛藤を経て今も野球界に貢献

 
僕自身、引退時はまさか33歳で選手を辞めることになるとは、全く想像していませんでした。32歳が僕にとってのキャリアハイでしたし、選手としてのその先の未来も思い描いていましたから。それが突然の引退となってしまったので、実は野球解説者になった後も、数年は葛藤していました。行く先々で阪神ファンに「今でも盗塁できるだろう、戻って来てくれ」と言われる度に、心のどこかで「本当にまだチャンスはあるんじゃないか」と思ってしまっていたんです。
 
でも3、4年経ったある時、だいぶ身体が回復したからとジムにトレーニングをしに行ったら、体力も脚力も全てがとんでもなく落ちていたことを思い知りました。通常、どんなスポーツでも1日休めばそれを取り戻すのに3日はかかります。つまり、3年のブランクを取り戻そうと思ったら、9年はかかる。「あぁ、もう無理なんだな」とわかった瞬間に、僕の中で諦めがつきました。
 
気持ちの切り替えができた翌年からは、視野が広がって、野球に対する見方も変わりましたね。より外側から阪神を見られるようになって、例えばファンの声援の性質が変わったことにも気付きました。以前は愛のある野次と言うか(笑)、叱咤激励がすごかったのに、いつの間にか「次は頑張れよ!」という、優しい声援に変わっている。ありがたいのと同時にどこか寂しさも感じつつ声援をよく聞くと、どの選手がどう期待されているのかがよくわかるんです。なので今は、そういうファンの声を含め、僕自身がプレーを見て感じたことを、選手に会った時には伝えるようにしています。
 
今のメインの活動は野球解説や企業での講演で、その他にも、僕には現役時代から力を入れて取り組んでいることがあります。足の不自由な方への、車いすの寄贈活動です。現役時代は盗塁する度に1台寄贈していて、今も「Ring of Red~赤星憲広の輪を広げる基金~」という形で活動を続けています。これから高齢化が進むにつれ、車いすの需要が高まっていくのは確実です。さらに2020年には東京オリンピック、パラリンピックが開催されるので、それに向けて元アスリートとして、何かできることがあるんじゃないか、と考えています。「人助けをしたいけど、どうしたらいいのかわからない」。そんな人たちをどんどん巻き込んで、支援の輪を広げていくつもりです。
 
 
 
<インタビュー・文 青柳裕子/写真 Nori/ヘアメイク KOTOMI/スタイリスト 神山トモヒロ>
 
 
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赤星憲広(あかほし のりひろ)
1976年生まれ 愛知県出身
 
亜細亜大学を卒業後、JR東日本での勤務を経て、2000年にドラフト4位で阪神タイガースに入団。1年目にして盗塁王と新人王を受賞する。以降、5年連続で盗塁王を獲得し、プロ通算では381盗塁を記録。三井ゴールデン・グラブ賞も6度受賞し、スター選手として活躍した。2009年には中心性脊髄損傷により、ファンに退団を惜しまれる中、引退。現在は野球解説者として、主に日本テレビ『Going!Sports&News』や読売テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』などに出演する他、企業での講演などもこなす。また、オーナーとしてプロ野球選手を育成するためのNPO法人、RED・STAR Baseball Clubを運営。現役時代から取り組んでいる車いすの寄贈活動を「Ring of Red~赤星憲広の輪を広げる基金~」という形で続けている。
 
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B.AGLIO
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▲プロ野球選手御用達のリッチな黒にんにくゼリー。赤星憲広さんも愛用中!

『頭で走る盗塁論 駆け引きという名の心理戦』
著者:赤星憲広
出版社:朝日新聞出版(朝日新書)
 
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(取材:2017年2月)