B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

20150301sp_69ex07.jpg
 
 
1年目はメジャー初勝利を挙げたものの登板は6試合。2年目は手術によるリハビリ生活、3年目は術後からの復活に取り組み、4年目の2012年は好投をしながらもチーム事情などで、メジャーとマイナーを行き来する。そうした日々にも腐ることなく、田澤選手は黙々とトレーニングを続け、同シーズン終盤に活躍。2013年はレッドソックスの世界一に貢献するなど実力を証明し、現在はチームになくてはならない選手になっている。その道のりは決して平坦ではなかったはず。しかし、インタビュー中の田澤選手は、「苦労した。辛かった」とは一切言わなかった。
 
 

近くに、必ず支えてくれる人がいた

 
 セットアッパーは例え負け試合でも登板することがありますので、試合の様子をチェックしながらいつ出番が来てもいいように心身ともに準備をし、少しずつ緊張感を高めていきます。シーズンを通してずっと一緒にブルペンにいる日本人選手は上原さんが初めてなんですが、非常に勉強になります。上原さんは出番が来た瞬間にスイッチを入れてすぐに気持ちを切り替えられるタイプ。あの切り替えはすごいと思いますし、真似はできないでしょうね。
 
 僕ができること、やるべきことは、しっかりと準備をしたうえで目の前の1球1球を大事に投げること。ストレートの球速がどれだけのものだったとしても、アウトが取れなければ意味がありません。どんなに泥臭くてもいいから、いかにしてアウトを取るか。そこをこれからも突き詰めていきたいです。
 
 昨シーズンはチームとしての状況はどうあれ、自分自身が目指すパフォーマンスは維持できていたので、そういう意味では手応えのある年でした。もしかしたら、それが経験を積んで成長した証なのかもしれませんね。
 
 僕が本当に恵まれていると思うのは、上原さんを始め所属する場所ごとで常に、「この人についていけば大丈夫だ」と思える方がいること。周囲の方々の支えがあったからこそ、ここまで成長してこれました。メジャーリーグは様々な国の選手が集まる中で、自分の力を試せるリーグ。そしてアメリカは野球だけでなく、私生活も含めた全てにおいて田澤純一という人間を試せる場です。現在はキャンプ中ですが、怪我もなく順調に調整できているので、今シーズンの活躍に期待していてください!
 
 
 
(インタビュー 泉貴子/文 佐藤学 /写真 Nori)
スーツ提供:オーダースーツSADA 神田・秋葉原ショールーム
〒101-0033 東京都千代田区神田岩本町1-5(03-3251-5004)
 
 
 
田澤純一(たざわ じゅんいち)
 
1986年6月生まれ。神奈川県横浜市出身。
 
20150301sp_69ex009.png
小学校3年生の時、イチロー選手に憧れて野球を始める。横浜商科大学高等学校では、3年次にエースとして活躍。

卒業後は新日本石油株式会社に入社し、野球部員として活動。4年目となる2008年は中継ぎから先発に転向し、チームを13年ぶり9度目の優勝に導く。

同年9月にメジャーリーグ挑戦を表明。マイナー契約を経ずメジャー契約を結んだ初の日本人選手としてボストン・レッドソックスに入団した。

1年目はマイナーで調整後、8月にメジャー昇格。同月11日に初先発・初勝利を挙げた。2年目は右肘内側の靭帯損傷による手術とリハビリに専念。以降、メジャーとマイナーを行き来するなど苦闘の日々を過ごす。

5年目の2013年、セットアッパーとして活躍。クローザーの上原浩治選手と共に勝利の継投パターンを築き、ワールドシリーズ制覇に貢献した。昨シーズンは2年連続となる71試合に登板。チームにとって欠かせない戦力となっている。
 
 
 
 (取材:2015年2月)
 
 
 
 

スペシャルインタビュー ランキング