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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
1975年、北海道生まれ。鹿児島実業高校サッカー部時代から頭角を現し、卒業後はジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉) に入団。プロ1戦目から4試合連続ゴールを記録するなど、華々しいルーキーデビューを飾る。Jリーグに加えアトランタ五輪の日本代表としても、グループリーグでブラジルを破る 「マイアミの奇跡」 の立役者となるなど活躍。フランスW杯アジア最終予選では初の本大会出場を決定づけた試合 「ジョホールバルの歓喜」 を経験。2000年にはリーガ・エスパニョーラ1部・バリャドリードに移籍し、レギュラーとして活躍。Jリーグに復帰後は、横浜F・マリノス、ヴィッセル神戸を経てJ2の横浜FCに加入。2006年のJ1昇格を牽引した。同年、昇格を置き土産に、惜しまれつつ引退。現在は解説のほか、『サッカーアース』(日本テレビ) などのサッカー番組でコメンテーターとして活躍。2009年にはJリーグおよび日本代表の監督就任免許となるS級ライセンスを取得し、国際経験豊かな指導者候補として期待が寄せられている。
 
 
 
日本サッカーの進歩が著しい。マンチェスター・ユナイテッドに移籍した香川真司選手、イタリアの名門・インテルで中心選手となった長友佑都選手をはじめ、優秀な日本人選手はもはや世界的に認知されている。国内のJリーグも、20年前の発足当初から比べると、驚くべきレベルの差がある。こうした 「進歩」 は、多くの先駆者の汗と涙の上に築かれてきた。しかし、成功と挫折をともに味わい、日本サッカーを変えてきた改革世代のエースといえば、城彰二氏が筆頭だろう。引退後、次世代の指導者候補として日本サッカーへのさらなる貢献が期待される中、現役時代に素肌感覚で学んだ 「輝きを保つための秘訣」 を聞いた。
 
 

逃げられない状態をまず作る

 
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 昔・・・そうですね、たとえば高校時代は、「絶対に負けたくない」 という思いだけでサッカーをしていた気がします。子供の頃は楽しくボールを追いかけていましたが、高校時代にプロを意識してから、勝ちたいという欲を常に持つようになりました。トップになるには誰よりも練習しなくてはいけない。誰よりも秀でた選手でなければ試合に使ってもらえない。ましてや、サッカー選手として長く現役でいつづけることなどできない。――自分にそう言い聞かせて、そこから逃げられない状態を自分で作らなくてはいけないと感じていました。
 自分で考えて行動する意識が強かったのは、父親の影響も少なからずありましたね。父は建築会社を営んでいて、会社を率いる立場にいたせいか、まだ幼かった私にも一人の人間として接していたんです。子供扱いは一切なし。ひとりの男としてどう考えるか、どんな意見を持っているのか。それを常に私に聞いてきました。そうした経緯もあって、子供の時分からなにごとも自分で考える癖がついていた。もっとも、父は典型的な九州男児でしたから、私が間違った方向で考えていたら、思い切りぶん殴られましたけどね(笑)。
 高校時代からプロに入るまで、サッカー選手として、フォワードとして、結果を出すために自分でどうすべきかを考え、今何が必要なのかを常に考えていました。自分の考えに固執して突っ走ってしまうこともありましたが、勝負の世界ですから、そういうエゴも否定ばかりはできない。ただ、エゴや強烈な自我だけでもうまくはいかない。難しいんですよね、バランスが。そうしたことに気付かされたのは、ずいぶんと後になってからでしたけど。
 
 
 
 

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