B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1940年10月福島県須賀川市生まれ。江戸時代から続く理髪店を実家に、幼少時代をすごす。父親は板金塗装業、再生タイヤ工場、洋服の卸し問屋などいくつもの事業を手がけており、子供のころから商売を身近に体感していた。1959年、県立須賀川高校を卒業し、父が経営していた羽鳥自動車工業に入社。1966年に義兄と羽鳥総業を立ち上げるも、1976年、詐欺に遭い羽鳥総業が倒産。これを機に中古車業界に転じ、東京マイカー販売を設立して代表取締役社長に就任。1994年、福島県郡山市に(株)ガリバーインターナショナル・コーポレーション(1996年本社移転にともなってガリバーインターナショナルに商号変更)を設立。1998年には画像による車販売システム「ドルフィネット」の運営を開始し、2003年に東証一部に上場。2004年にはアメリカ西海岸に初の海外拠点を置くなど、中古車業界の改革を最前線で推し進めている。
 
 
100101_sp0008_ex03.jpg

ガリバーブランドは中古車業界に革命を起した。

――中古車業界に革命を起こし続けてきたガリバーの会長を務める羽鳥兼市氏の経歴を聞くと、おそらく二つの見方に分かれるのではないだろうか。ある見方をすれば苦労人。また、ある見方をすれば夢追い人。株式会社ガリバーインターナショナルを94年に設立し、たった9年で東証1部に上場させたその手腕は経済界において驚嘆されるべき実績だ。だが、羽鳥氏はすべてが追い風の中で会社を成長させてきたわけではない。過去に倒産も経験しながら、己の信念に従って、現在に至るまで育て上げてきたのである。そのモチベーションとなったのは何だったのか?
 
 

中古車業界に危機感を抱いていた?

 
100101_sp0008_d01.jpg
 もともと中古車で商売を始めたのは、食べていくため。それだけでした。父親が車の整備や板金の会社をやっていましたので、自分が本格的に商売を始める際、身近だった中古車を選んだというのがそもそもの始まりでした。
 ただ、業界の中に入ってみると、予想以上に環境が悪かったことをよく覚えています。今でこそかなり中古車業界のイメージはクリーンなものに磨かれましたが、私たちが商売を始めたころは、今の真逆。値段なんかあってないようなもので、販売価格はお客さんを見て判断する。あまり車のことを分かっていないお客さんであれば、値をつり上げたりすることが平気でまかり通っていた。つまり、売るにしても下取りをするにしても、適正な値段で流通していなかったのです。そこで、ふと思いました。「このままじゃ中古車業界に先はないな」と。
 そこでガリバーを立ち上げたのですが、「中古車業界の未来を創る」 という大前提がありましたので、自身と自社の使命として「流通革命」を掲げました。でも当時の社員はひとりだけ。社屋は東北の田舎にある掘立小屋。そんな状況で、5年以内に500店舗、年商2500億円を達成するという目標を掲げたんです。後ろ盾も何もなくね。
 自分では大きな目標を立てたつもりはなかったんですよ(笑) ただ単純に 「やれる」 と思ったし、「やらなくてはいけない」 と思っただけだったのです。「業界を変えなくちゃいけない」 という使命感のほうが強かったですね。もちろん最初は笑われましたよ。「そんなことできるわけがない」 と。でも、私はまったく気にしませんでしたね。
 
 中古車業界を変えるためには、エネルギーを持った店舗を日本全国に敷き詰める必要がありました。その数をざっと計算すると500店舗になっただけ。もちろんビジネスですから、店舗ごとに5億円の売上目標を立てると、必然的に2500億円という数字が上がってくる。1店舗でやろうとしているのではなかったので、自分の中ではきわめて自然な数字だったのです。もちろんこれは10年も20年もかかって達成するような気の長い目標にはしていませんでした。商売である以上、そんなロングスパンだとやっている意味がない。なので、5年でこの目標を達成しよう、達成できると本当に思っていました。
 
 

“商売ゲーム” を本気で楽しむ

 
――ガリバーは、最初は 「ジャスト」 という名前だったという。売り手と買い手の思う値段がジャストフィットする店という意味だったそうだ。しかし、看板から何から準備ができた段階で、急きょ 「ガリバー」 に変更になったという。理由は、羽鳥氏の思いつきだった。
 
100101_sp0008_d07.jpg
 今の社名は、お察しの通り童話の 『ガリバー旅行記』 が由来になっています。実は、あの童話に出てくるガリバーというのは、別に巨人ではなく普通の人なんですよ。標準サイズの、どこにでもいそうなサイズの人間でした。ただ、たまたま小さな人たちの国にたどり着いてしまったから巨人扱いされてしまっただけであって、彼が巨人の国に行くと、今度は小さな人になってしまう。
 私たちの会社もそうだな、と感じたのです。地方で一番になって巨人のように見せかけても、その本質は変わらない。そうではなくて、目標は大きく掲げるけれど、達成したからといって驕ることなく謙虚な気持ちを忘れないようにしよう、そう思って社名を直前に変えたのです。
 だってそうでしょう? 世界にはビル・ゲイツさんや孫正義さんのような、ものすごい巨人たちが大勢いる。井の中で一番になったからといって、決して己を見失ってはいけないと感じていましたからね。
 ただし、商売を楽しむという根本は変わりませんでした。苦しい思いや辛い思いだけで仕事をしていくのではなく、「仕事そのものが何よりも楽しい」 と思ってやっていきたかった。それは子供のころから変わっていませんでしたね。
 
 
 
 

スペシャルインタビュー ランキング