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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW



プロフィール 1971年、ロンドンにおいて日本人として初めてのファッション・ショーを開催。1974年からパリ・コレクション、ニューヨーク・コレクションに参加。世界的なファッション・デザイナーとしての地位を確立した。93年以降はファッションの枠を越え、表現を拡大。独自の表現形態であるスーパーショーを確立し、モスクワ、ベトナム、インドにて開催。日本国内では、2000年岐阜、2001年山口きらら博、04年日本武道館にて「アボルダージュ」、2005年「愛・地球博」開幕イベントを手掛けた。近年では、2007年東京ドームにて「太陽の船」、2008年サラゴサ国際博覧会「いのちの祝祭」、2009年インドネシア・バリ島にて「FESTIVAL OF LIFE~いのちの祭り~」を開催。これまでの動員数は累計100万人以上という熱狂的な支持を集めている。現在、「日本元気プロジェクト ~日本を超える、元気人間づくり~」を猛烈推進中。
 
 
 
93年「ハロー!! ロシア」、95年「ハロー!!ベトナム」、そして97年「ハロー!!インディア」――世界各国で開催したKANSAI SUPER SHOW をはじめ、日本の各地でも圧倒的な大スペクタクルイベントをプロデュースしてきた山本寛斎氏。今年5月にはインドネシア・バリ島で「FESTIVAL OF LIFE ~いのちの祭り~」を、9月には2016オリンピック招致を応援するイベント「勝つぞっ」を東京・明治神宮外苑で成功させた。“世界のKANSAI”としてファッションデザインの頂点を極めてなお、ほとばしるエネルギーで新たな挑戦と疾走を続ける寛斎氏。その熱源に迫る。
 
 
 

やると決めたら必ず実現させよう!
どんなにぶっ飛んでいることも!

 
――「勝つぞっ」を拝見しました。聖徳記念館の外壁をスクリーンにしてしまう大映像と、熱気球のパフォーマンス。5月のインドネシア・バリ島でのイベントの迫力が伝わってきました。バリ島での「いのちの祭り」は、どんな経緯で決まったのですか。
 
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 当初、バリ島でのイベントは、2008年末に開催する計画でした。2008年はインドネシアと日本の国交50周年でしたからね。なぜバリに行ったかというと、一昨年の「太陽の船」(KANSAI SUPER SHOW 「太陽の船」2007年1月於東京ドーム)のときに、当時は代議士でいらっしゃった福田康夫先生がインドネシア日本友好協会の会長をされていまして、インドネシアの閣僚の方々をドームにお連れになっておられたんです。そのときに皆さんが「こんな大きなイベントは初めて見た」と感動されて、翌日インドネシア側から電話が入りました。「津波やテロの報道でインドネシアのイメージが世界的に悪くなっている。それを払拭するイベントを頼みたい」ということでした。
 それから福田先生と一緒にインドネシアにうかがって、彼の地の要人と会い、会場を探して回りましたが、最高の場所には遭遇せずに一度帰ってきました。帰ってくると安倍元首相が退陣されて、福田先生が次の首相に就任されることになった。それで「寛斎さん、後は頼むよ」と、後の一切をたくされたわけです。
 当初はインドネシア側も相当の資金を出す予定で、日本では私が企業の協賛を集めて、準備が順調に進んでいました。ところが突然、世界不況が襲って、インドネシア側が資金を出せなくなった。「開催不可能!」となったわけですよ。
 しかし私は、これまで「やる!」と言ったことは必ずやってきましたし、それが社会的信用にもなっていますから、やらんわけにはいかんぞと。それで、資金は全額日本側が持つことにして、つまり私が集めて、当初の予定から半年遅れで開催したのが「いのちの祭り」だったわけです。
 
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2009年5月インドネシア・バリ島での「FESTIVAL OF LIFE」。
燃えさかる生火が人間の生命のエネルギーを謳いあげた。
 資金に余裕がないこともあり、バリでは現地の実業家や学生、市民の皆さんが非常に協力的にボランティアに参加してくれました。会場も、ものすごくいい場所が見つかりました。こんなに大きな、奈良の大仏より大きな石像がある有名な公園なんですが(GWK:ガルーダ・ウィシュヌ・クンチャナカルチュラル公園。ヒンドゥー教最高神シヴァの巨大像がある)、私が見つけたのはその石像の隣のスペースなんです。普段コンサートなどに使われている表の公園の、その奥に、今回のイベントに最適な天然の石切り場があったんですよ。なぜ最適かと言いますと、生火をふんだんに使うイベントなので、燃えるものが一切ない場所が良かったんです。イベントなんかに使われるのはまるっきり初めての、誰も使ったことがない場所でしたが、私は行った瞬間に「ここだ!」と。直感でしたね。
 
 
――71年に日本人として初めてロンドンでファッション・ショーを開催し、「ハロー!!ロシア」ではモスクワ・赤の広場で外国人として初めて大イベントを成功させ・・・寛斎さんのお仕事は “初めて” が多いですね。
 
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 ロシアのときは、「モスクワの赤の広場を使う初めての外国人になってやろう!」と自分で決めちゃったわけです。何をやるのかも、許可を取る前に決めちゃったわけです。私が何かをやるときは、お金もない、準備もない、あるのは「やりたい!」という願望だけ。常にそこから始めます。
 それ以前にロシアを旅して、フレンドリーな人たちだなあということは思っておりました。お国のシステムの違いや戦後処理の問題はさておいて、市民レベルでは仲良くなれるんじゃないかと。
 当時はソ連の時代で、お国の経済が非常に疲労していました。そこで私は「この国には応援歌が必要だ!」ととっさに思ったわけですよ。今まで宇宙に人間を送ったのは、世界でアメリカとソ連っきゃない。そんな国に個人で応援歌を届けようというんだから、我ながら、ぶっ飛んでるなあと思いましたよ(笑)。
 それで、ともかく、当時のモスクワ市長、ルシコフさんとおっしゃいましたが、彼のところに通いつめて、OKをもらって、実現したんですね。
 
 

 

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