甲子園で山陰初の決勝進出もサヨナラ負け

インタビュアー 濱中治(野球解説者)
吹野 ええ。私は鳥取県米子市出身で、子どもの頃から野球を続け米子東高校で3番ファースト、主将として1960年の第32回選抜大会に出場しました。このときは山陰地方の高校として初めて決勝に進出したんですよ。
濱中 それは素晴らしいですね。結果はどうだったのでしょうか。
吹野 残念ながら、対戦相手だった高松商業の3番ショートで、その後、阪急ブレーブスに入団する山口富士雄さんに選抜大会史上初となる決勝戦サヨナラ本塁打を浴びて1-2で敗北しまして・・・準優勝に終わりました。当時は木のバットでボールがそれほど飛ばなかったこともあり、この1本は大会を通じて唯一のホームランでもあったんですよ。