B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

コロナ禍でも笑顔を配達
  皆が感謝し合える社会に

 

順調な道を捨てて、物流業界に挑戦

 
glay-s1top.jpg
鎮西 御社の創業は2018年と聞いています。それまで萩倉社長は何をされていたのですか?
 
萩倉 飲食業界で働いていました。22歳で初めて出した自分の店は1~2年で失敗しましたが、24歳で負債も清算して、25歳で再チャレンジしたんですよ。そこからはとんとん拍子で店舗運営が軌道に乗り、数店舗をかまえることができました。物流業を始めたのは28歳のときですね。埼玉県で事業を立ち上げ、当時は今と違い部下に運営を任せていました。
 
鎮西 挫折があったとはいえそこから再起して順調に事業を運営していたのに、どうして物流業に参入したんですか?
 
萩倉 50年先も続く事業をしたいと考えたこと、私自身が新たなチャレンジをしたかったことが理由です。そのために社会勉強をと、30歳で会社をすべて人に譲り、知人の紹介で一般企業に就職したんですよ。そこでさまざまなことを学ばせていただきました。その後は経営陣との考えの違いもありましたが、何より再度自分でチャレンジしようと思い退職しました。
 
鎮西 わぁ、これまた大きく舵を切りましたね。
 
萩倉 昔を知る仲間からも心配されましたね(笑)。それで、部下に物流会社を任せていたときに知り合った方に現状報告も兼ねたご挨拶の電話をすると、その方が、埼玉県から私の故郷である千葉県印西市に移って活動されているとおっしゃるんですよ。さらに、印西市は地方だから、物流のインフラが整っていないとも言うんですね。それならばと、昔の部下2人を連れて印西に行き、弊社を旗揚げしました。ただ、私たちの意気込みとは裏腹に、出鼻を挫かれまして(笑)。
 
鎮西 ここまででも十分ドラマティックなのに、まだ波乱万丈な展開が続くんですね。気になります!
 
glay-s1top.jpg
萩倉 一つはまだ私が無職ということで不動産屋からの信頼を得られず、社屋に築数十年のオンボロアパートしか借りられなかったことです。これはかえってモチベーションが高まる要素になりましたが、地元で個人事業主として配達を請け負っているドライバーさんたちの輪に入れてもらえなかったことには参りましたね。新参者は、やはり警戒されるようです。だから皆さんとお酒を飲む機会を設けて、物流業にかける私の思いを包み隠さずお伝えしました。そうすることで、最後には弊社と業務委託の契約を結んで協力してくださりました。