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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

県内外にその名が響く
鮮魚が自慢の割烹料理店

 

人の5倍努力した、板前への道のり

 
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内山 魚元さんが建つ場所は、もともと鮮魚店だったそうですね。
 
寺田 ええ、私の父が経営しており、私も幼い頃から跡を継ぐんだろうなと考えていました。ただ、いざ代替わりを本格的に意識し始めた頃、時代はちょうどスーパーマーケットが台頭してきた時期でして。鮮魚店一本では先行きが不安なので、魚料理をウリにした、宴会なども承れる飲食店にしようと考えました。父には反対されましたよ(笑)。しかし、私の決意は固く、茨城県の結婚式場で5年間、住み込みで板前として修業しました。
 
内山 料理の世界も体育会系に負けず劣らずの厳しい上下関係があるでしょう。修業は大変だったのではないですか?
 
寺田 拳は飛んでこないものの、大変でしたね。睡眠時間が1日に2、3時間しかない、なんてこともざらでした。忙しかったときなんて、結婚式場の仕事が終わると掛け持ちしていた割烹料理店で深夜1時頃まで働き、その後、朝4時からは父親の店の手伝いですよ。そこに、知り合いが居酒屋を始めるというので、その手伝いが加わった時期もありましたね。
 
内山 とんでもないハードスケジュールだ。よく耐え抜くことができましたね。
 
寺田 空手と柔道をしていたので体力や根性に自信がありましたからね。また、人の3倍、いや、5倍は働いて勉強しないと、一人前の板前になれないと考えていたんです。当時の経験のおかげで、技術も自信も身に付きました。
 
 春日部市の人気店となった海鮮割烹魚元
春日部市の人気店となった海鮮割烹魚元
内山 なるほど、その努力があったから板前としての技術が身につき、今の豊富なメニューが生まれたんですね。
 
寺田 はい。実は、ボリューム満点の料理をお出ししようと思いついたのも、茨城県での修業時代でした。そこでお世話になった社長さんがとても豪気な方で、大盛り料理でお店を繁盛させていたんです。
 
内山 そうだったのですか。魚元さんがここまで来られたのは、寺田代表のご経験はもちろん、お父様や修業先の社長さんといった、周りの方々のお力も大きかったとよくわかりました。
 
寺田 おっしゃるとおりです。お客様や従業員、そして、思い切った業態変更を許してくれた父親の助力もなければ、こうして内山さんとお会いすることもなかったでしょうね。
 
 
 
 

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