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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

風とおしの良い社風配管工事でやりがいを!
株式会社織笠 代表取締役 山﨑昭二

 
プロフィール 東京都出身。実家は牛乳販売店を営み、将来は経営者を志していた。学業修了後は製鉄会社に就職。営業を志望するも現場に配属される。仕事を楽しく思う反面、現場で働くことに疑問を感じて4年で退社した。次の道を模索する中、現在の妻と出会い、その実家であった(有)織笠に就職。その後事業を引き継ぎ、株式会社に組織変更して現在に至る。【ホームページ
 
 
 
東京都国立市を拠点に水道・空調など、あらゆる種類の配管工事を手がける株式会社織笠。代表取締役の山﨑昭二氏は、妻の実家の会社を引き継ぎ「いつかは社長に」という幼い頃からの夢を実現した。現在の課題は、若い職人が減りつつあること。配管は見えなくなったとしても、建物として形に残る仕事は、大きなやりがいがある。「風とおしの良い社風なので、ぜひ若い人たちに飛び込んでほしい」と熱く語ってくれた。
 
 
 

いつか社長になるために生まれてきた

 
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インタビュアー 時東ぁみ(タレント)
時東 上下水道を中心に空調や床暖房、直結スプリンクラーなど、さまざまな種類の配管工事を手がける株式会社織笠さん。山﨑社長の歩みから教えていただけますか。
 
山﨑 私の最初の就職先は、製鉄会社でした。営業志望だったのですが、「まず鉄のつくり方を覚えろ」と現場に配属されました。仕事は楽しかったものの、「営業をやりたい自分がなぜ製鉄を」という疑問が拭えず、4年で退社したんです。次の仕事も決まっていない頃に現在の妻と知り合い、「遊んでいるくらいなら、うちの実家で働けば」と誘われ、弊社に入りました。
 
時東 織笠さんは、もともと奥様のご実家だったんですね。その後の歩みは順調だったのでしょうか。
 
山﨑 それが実は、リーマン・ショックの影響で売り上げが落ち、先代の社長が「会社を解散する」と言い出したんですよ。しかし、当時すでに営業も現場もお金の管理も任されていた中で、私は「解散しなくても経営を続けられる」と考えました。そこで権利や許可、借金など会社の資産を買い取り、39歳で代表に就任したんです。その後、2010年に有限会社から株式会社へ改め、2018年現在は8人のスタッフと共に頑張っています。
 
時東 業績を見事に回復させたのですね。ちなみに、もともと独立願望はあったのですか?
 
山﨑 そうですね。実家が牛乳の販売店を営んでおり、子どもの頃から「自分はいつか社長になるために生まれてきた」と思っていました。製鉄会社を辞めるときも「このまま組織の歯車でいるのは嫌だ。自分はエンジンになりたい」と言って呆れられたほどです(笑)。親戚も店を経営する人が多いため、弊社に入ってからも周りから「早く独立しろ」と言われていましたね。ちなみに、牛乳販売店は弟が後を継ぎました。