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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

技術と価格に絶対の自信職人魂が息づく塗装会社
野口塗装 代表 野口真司

 
プロフィール 茨城県出身。塗装会社の経営者からの誘いを受けて、十代で業界に飛び込むも、修業の厳しさから解体業に転身する。解体業を辞めた後は生活が厳しくなり、一時、母親の出身であるフィリピンへ。そこで幼い子どもがゴミを食べる姿に衝撃を受けた。同時期に、慕っていた先輩の死に直面し、起業の遺志を受け継ぐことを決意し、再び塗装の道へ。修業を経て2017年10月、起業を果たした。【ホームページ
 
 
 
2017年10月、茨城県古河市に誕生した野口塗装。代表の野口真司氏は十代の若さで業界に飛び込み、いくつもの過酷な試練を乗り越えて起業した。住宅やマンションの屋根や外壁を塗り替える仕事は、顧客とのコミュニケーションが何よりも大切。技術と価格に絶対の自信を持つ野口代表は、仲間と共に真心を込めて、今日も現場に向かっている。その胸に秘めるのは、熱く燃える“職人魂”だった。
 
 
 

先輩の魂を受け継ぎ修業の末に独立

 
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インタビュアー 川上麻衣子(女優)
川上 屋根や外壁など住まいの塗装を手がける野口塗装さん。野口代表は、どのようなご経歴をお持ちなのでしょう。
 
野口 私が塗装の仕事を始めたのは十代の頃です。もともと現場の仕事に興味があり、中学の恩師が主宰していた集まりに呼ばれた際、参加していた塗装会社の社長から誘われたのがきっかけでしたね。厳しくも情熱的な親方は「どうせ、できないだろうけど」と言うものですから、私はその言葉を聞いて「だったら、やってやるよ」と反骨心が芽生えました。
 
川上 そのような言い方をしたのは、親方の作戦だったのかもしれませんね。実際に修業を始めてみて、いかがでしたか。
 
野口 実は、あまりのつらさに一度は辞めてしまったんですよ。その後は2年ほど解体業を経験したものの、そこも辞めてしまい、お金も尽きてどん底まで落ちました。そして私は、母の母国であるフィリピンへ行き、そこで大きな衝撃を受けたんです。
 
川上 どのような出来事があったのでしょう。
 
野口 そこで見たのは、3歳の子どもが、ゴミを食べている姿でした。そのとき、私は「自分は仕事もせずに、何をしているんだろう」と生き方を見つめ直しました。また同じ頃、日本で兄貴分と慕っていた先輩が闘病中でした。その先輩から「お前が帰ってくるのを待っている」とメッセージが届いたんです。
 
川上 衝撃的なことが続きますね。続きが気になります。
 
野口 帰国後すぐにお見舞いへ行くと、先輩はかすれた声で「お前に起業という夢を託した」と言ってくれました。そして翌日、亡くなってしまったんですよ。私は、先輩の夢だった独立を何がなんでも実現すると約束しました。先輩の魂を受け継いで起業したからには、絶対に失敗することはできません。