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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 東京都生まれ千葉県育ち。リフォーム会社に勤務するかたわら、カーレースのドライバーとして活動。練習中のクラッシュでダメージを負ったことからプロへの道を断念する。その後、自信を持っていたプログラミングで生計を立てることを決意し、34歳から大学で猛勉強の日々を送る。2014年にアプリケーション・ITサービス開発などを手がけるITService雄飛を設立した。【ホームページ
 
 
 
モータースポーツに打ち込んだ20代の日々を経て、事故のダメージで路線変更を余儀なくされた脇保雄飛氏。そうした困難に打ち勝ち、現在はアプリケーション・ITサービスの開発と販売を手がけるITService(アイティーサービス)雄飛を運営している。自らの経験と性格に基づく“体育会系IT”をモットーに掲げ、フットワークの軽さと信頼重視の姿勢で邁進する脇保代表に、波乱万丈の半生と現在の仕事への抱負、これからの目標などをうかがった。
 
 
 

プロレーサーの夢への挫折を乗り越えて

 
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インタビュアー 名高達男(俳優)
名高 脇保代表はアプリやITサービスの開発・販売を手がけているそうですね。具体的にはどんなお仕事をしているんですか?
 
脇保 現在はアプリケーションのプログラミングが中心ですね。企業や商店を経営している方々からご依頼を受けて、コンピュータ上で効率化したい課題の解決に役立つアプリを開発し、ご提供しています。
 
名高 ビジネスにコンピュータの活用は当たり前の時代とはいえ、専門知識を持ったプロフェッショナルばかりではありませんから、脇保代表のような存在は欠かせないでしょうね。社会に出る前から、今のようなお仕事を目指されていたのですか?
 
脇保 高校の頃からIT業界に進みたいと思っていましたので、独学で勉強していました。ただ、訳があって実家の総合リフォーム会社で10年ほど働いた経験があります。
 
名高 つまり建設業界ですね。10年といえば相当の時間ですけれど、その間、ITのことは?
 
脇保 目指す職業としては、視界から外れていましたね。実は私、仕事のかたわら、4輪のモータースポーツにすっかりのめり込んでしまいまして。24歳から4年間は、給料を全てレースに費やすくらいの勢いだったんです。そして、プロを目指して死ぬ気で猛練習を積んでいました。けれど、ひどいクラッシュ事故がきっかけで体を壊してしまい、長期間休んで復帰しても過労でまた倒れるという具合になってしまって。結局、国が指定する難病を抱える身となって、モータースポーツの夢は諦めざるをえませんでした。
 
 
 
 

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